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2016.6.21

コミュ障という鎧

竹渕香織

聖学院大学人間福祉学部こども心理学科准教授

竹渕香織

たけぶち・かおり 73年生まれ。聖学院大学大学院修了。臨床心理士、臨床発達心理士。99年から聖学院大学学生相談室にカウンセラーとして従事、2012年より現職。学生相談室副室長を兼務。専門は臨床心理学。主な著書に『発達障害のある学生支援ケースブック』(共著、ジアーズ出版)『臨床死生学叢書3』(共著、聖学院大学出版)など。

■学生の自己申告

「自分はコミュ障だ」と言う学生にしばしば出会う。コミュ障とはコミュニケーション障害の略で、他愛ない雑談や、ちょっとした受け答えに大きな苦痛を感じる人、空気が読めずに場の空気を壊す人のことを表す若者言葉である。これは視覚・聴覚障害、または精神障害や発達障害に起因するコミュニケーション障害とは異なり、医学的根拠はない。

さて、コミュ障と自己申告してくる学生と話していても、コミュニケーションに困ることはほとんどない。なぜ彼らはわざわざ自分をコミュ障と言うのだろうか。よくよく観察をすると、この言葉を発する背景にはコミュニケーションという言葉に過敏になりすぎるあまり、他人との関わりを遮断する壁を作っている彼らの姿が見えてくる。

関係性を作る前に、先手を打って「私はコミュ障です」と宣言することで、「うまくコミュニケーションできなくても責めないでね、許してね」という予防線を張っているのである。

予防線を張るのは、相手から傷つけられたくないという気持ちと、自分が相手を傷つけるようなことを言って嫌われたくないという2つの理由があるようである。彼らは本来の意味のコミュ障ではなく「人間関係で傷つかないために、コミュ障という言葉を免罪符のように使っている人たち」なのだと気づかされる。

■防衛の壁を崩すには

しかし、彼らは傷つかないかもしれないが疲れている。基本的にはお互い踏み込みすぎない関係を維持しているために、直接的コミュニケーションの過程で傷つくことは少ない。だが、表面的なやり取りが続いたり、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)でやり取りされる会話から本音を推測するなど、気を遣い過ぎて疲弊している。そして「やはり私は人と関わることが苦手だ」という結論になってしまうのである。

このように「自分はコミュ障」と言う若者たちの中の一群には、空気が読めないのではなく、逆に敏感に空気を読み、摩擦や衝突を予め避け、傷つかないよう防衛している人たちがいるのである。裏を返せば、彼らは安心できる場、例えば立場や役割がはっきりとしている時や、会話をコントロールしてくれる年配者と関わっている時には気を遣わずにコミュニケーションができるのである。

「自分はコミュ障害だけれど、人とうまく関われるようになりたい」と言う学生たちに、「コミュニケーションスキルは学べるし上達する」と伝えると皆一様にほっとした表情をするのが印象的である。彼らは決してこのままでいいとは思っておらず、コミュ障から脱したいと願っているのであろう。コミュニケーションの知識やスキルを得ることは、防衛の壁を少しずつ崩し関係性を築く一歩になり得るであろうし、その先には、人との関係の中でこそ見えてくる「自分」に気づく姿があるはずである。

=埼玉新聞経済面 県内大学発「経世済民」=