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2016.7.12

価値観を扱う地理学

小口千明

城西大学経済学部非常勤講師

小口千明

おぐち・ちあき 筑波大学大学院歴史・人類学研究科単位修得退学。文学博士。城西大学専任講師、同助教授を経て現在は筑波大学教授・城西大学非常勤講師。専門分野は歴史地理学・人文地理学。主な著書に『日本人の相対的環境観』(単著)、『地図でみる県の移り変り』(共著)、『地歴高等地図―現代社会とその歴史的背景』(共著)など。

■思い浮かべる海の風景

仮に若いカップルがいたとします。そのうちの一人はあなたです。もう一人が、あなたに優しく語りかけます。「海を見に行こう」と。

そのとき、あなたが思い浮かべる海の風景はどのようなものでしょうか。大学生や高校生の皆さんにお尋ねすると、多くの人が「静かな砂浜で、水平線まで広がる海」を思い浮かべます。中には、「夕日が見えるともっとよい」と言う人もいますが、遮るものがない広々とした海岸風景は、今日とても人気があるようです。

ところで、昔の日本ではどのような海岸風景に人気があったのでしょうか。代表例として、江戸時代以来の名所である「日本三景」を考えてみます。日本三景とは松島(宮城県)、天橋立(京都府)、宮島(広島県)を指しますが、共通点は(1)島や砂州などによる複雑な海岸美(2)由緒ある神社仏閣の存在(3)松などの植生の美しさということができます。しかし「伝統」あるこの三要素は、現代のカップルが思い描く人気の海岸風景にはほとんど登場しません。

■価値観の変化

この三要素に代わり、現代では「広々とした海」が重要視されるわけですが、このような価値観の変化はいつどのような理由で起こったのでしょうか。別の言い方をすれば、変化に富む島や半島がない単調な砂浜海岸に「訪れるべき価値」が見い出されたのはなぜでしょうか。

その答えは、日本人が「海水浴」を行うようになったからです。海水浴は日本では1881(明治14)年に、欧州の方式を模して開始されました。当初の海水浴は医療目的でしたが、次第に健康法に変化し、その後、鉄道の普及と相まって行楽として普及します。

その結果「単なる砂浜」が海水浴場として脚光を浴びることになりました。広い砂浜と水平線まで広がる海の風景は、健康的なイメージを伴って「訪れるべき価値」がある風景になりました。その代表例が湘南海岸(神奈川)です。

■地域資源の発見

価値観変化は、現代日本が抱える問題を地理学的に考える上で重要です。今、日本は国内外からの訪問客を増やす「観光化」に力を入れています。ところが、地域によっては「観光資源が乏しい」と諦めている所があります。しかし、先の海水浴の例を見てください。古くからの価値観では訪れるべき価値がさほど大きくなかった単調な砂浜海岸が、海水浴を契機に訪れる価値があるすばらしい場所へと変わるのです。

一見、観光資源が乏しく見える地域でも、評価する人間の側が変わればすばらしい観光資源が見つかる可能性があります。私の地理学の授業では、このように地域を見る人間の側の「価値観」から問題を捉え直していきます。ご一緒に、今まで光が当たっていなかった地域資源を見つけてみませんか。

=埼玉新聞経済面 県内大学発「経世済民」=