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2016.8.23

「殺してあげる」に対峙する

柳田洋夫

聖学院大学人文学部日本文化学科准教授

柳田洋夫

やなぎだ・ひろお 67年生まれ。東京大学文学部倫理学科卒、同大学院博士課程中退。東京神学大学大学院博士課程前期終了。博士(学術)。聖学院大学人文学部日本文化学科准教授。キリスト教思想史、日本倫理思想史。翻訳にアリスター・E・マクグラス『歴史のイエスと信仰のキリスト』(キリスト新聞社)、論文「小山鼎浦の宗教思想」など。

日本倫理思想史の相良亨は、他者なるものの真の他者性が日本においては自覚されていないのではないかと問題提起する。そこで挙げられるのは、日本のみのものであるといわれる母子心中である。そこには「このまま生かしておいてはかわいそうだ」という、主観的には「誠実」な心情のみがあるという。

相良はまた、自らが極限的状況に置かれたとき、それでもなお断固としてそのような道を選ばないと言い切る思想を自分は持っていないと告白する。

さらに、あなたは絶対に心中しないと言えますかと何人かに問うてみたところ、絶対にしないと答えたのは、「私はキリスト教信者ですから」と言ったただ一人であり、その人は、「だから家内は、私を冷たい男だといいます」と付け加えたという。

ここには、最期まで添い遂げたいという配偶者としての素朴な願いがあるだろう。しかし、母子心中と同様に「殺してあげる」という事態がそこに伴う可能性は否定できない。

そして、私たちはごく最近、かくのごとき心情を身勝手に正当化した人間が障害者施設に押し入ってなした凶行を知らされた。このようなことは絶対に許されないと私は思う。しかし一方で、何かを成就したかのごとく笑みを浮かべる犯人に断固としてノーを突き付けることを可能にするものを私たちは持っているかということもまた、相良と同様に問わざるをえない。

私は、キリスト教精神に基づく教育を旨とする大学に、そして、くだんの婦人が「冷たい」と見なした「キリスト教信者」の群れに属している。しかし、その信仰者たちが依拠する聖書には、何が何でも生きろという神の熱い叫びが響いている。

「お前が生まれた日、お前は嫌われて野に捨てられた。しかし、わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、わたしは血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ」(エゼキエル書)。

ここにはまた、打ち棄てられた絶望の底で苦しむ者の血と痛みを自ら担わんとする神の激しい愛が示されている。そしてその神は、決して「殺してはならない」(出エジプト記)と私たちに命ずる。

NHK大河ドラマ「真田丸」の時代に宣教したルイス・フロイスは、日本では「死刑執行人」になることは「誇り」とされているという。

また、「(ヨーロッパとは違って)日本の女性は、育てていくことができないと思うと、みんな喉の上に足をのせて殺してしまう」と報告している。

さらに、近代日本の発展に貢献した医療宣教師ヘボンは、「悪疾が公然と路傍にさらされている」幕末の状況において、「不思議にも畸形児を見なかった」が、「それは生存することを許されていないからだという噂だ」と証言している。これをキリスト教側からの一方的な「上から目線」によるものだと片づけることはできないだろう。あの事件に向き合うことは、私たちの裡なる伝統と対峙することでもある。

=埼玉新聞経済面 県内大学発「経世済民」=