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2016.9.29

ゲーム理論で「空気」を読む

大松寛

駿河台大学経済経営学部准教授

大松寛

おおまつ・ひろし 68年生まれ。慶応大学経済学部卒。慶応大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。01年駿河台大学経済学部専任講師、助教授、07年准教授を経て、13年より現職。専門は産業組織論。著書に『現代ミクロ経済学 中級コース』(分担執筆・有斐閣)など。

■「空気」は情報を伝える

A君、B君、C君の3人は全員顔が汚れていたが、自分の顔が汚れていることは知らない。そこへDさんが現れ「顔が汚れているよ」と言う。それでも誰も洗いに行かないことに気付いた3人は次の瞬間一斉に顔を洗いに走った。

例えばA君は考える。「(ABCの順に顔を並べて汚れた顔を×で示すと)見たところ○××か、×××だ。もし自分が汚れていない(○××)なら(A君の想像の中の)Bは『○××か、○○×のようだが、もし○○×なら(A君の想像するB君の想像の中の)Cは〔汚れた顔は見当たらない。ということは、汚れているのは僕(C)だ〕と考えるはず。なのにCが洗いに行かないということは、僕(B)も汚れているんだ(○××)』と考えるはず、なのにBが洗いに行かないということは、僕(A)も汚れているんだ(×××)」。

■ゲーム的状況の典型

「信号のない交差点」での譲り合いでは、相手が止まれば自分は進み、相手が進めば自分は止まることになる。相手の選択が変われば自分のとるべき選択が変わる、という意味で「ゲーム理論」でいうゲーム的状況の典型だ。ここである疑問が生じる。「相手が止まると思って進み、ぶつかることはないのか」。冒頭の例は「共有知識」という概念を説明する。ゲーム理論ではこの共有知識が前提にあり、そのおかげで心配する状況は起きないことになる。

■「周知の事実」と「事実」

冒頭の例では、「顔の汚れた人がいる」ことは元々、全員が知っている。目の前の顔が汚れているのだから。だが、自分が知るところを他人も知っている保証はない。そのとき、皆が知っている内容が「皆の前で」告げられ、この瞬間にこれが「周知の事実」になる。さっきまで保証の限りでなかった「自分の知っていることを他の人が知っているか」という心配がなくなるのだ。

冒頭の推論はこの瞬間に可能になる。分かっているはずなのに相手がなぜ洗いに行かないのか考えて初めて「自分も汚れている」と気付く。

例えば、「今は相手が止まり、自分が進む状況」であるのを自分が知っていることを相手も知っていて、それを自分が知っていることをもまた相手が知っている、こういう言い方が考えられるすべてのパターンについて保証されることを「共有知識」という。ぶつかるようなことが起きないのはそのおかげだ。

■「空気」を伝える工夫

待ち合わせの約束をメールですることと電話ですることの違いは実はここにある。メールでは相手が待ち合わせ場所をちゃんと知っている保証はない。うっかり迷惑メールにされて伝わっていないかもしれない。クーデターの計画が「共有知識」になっていないと銃殺刑だ。これが電話だと「共有知識」になる。SNSの既読表示もこれを助ける。オーケストラ全体が同時に音を出すために指揮者がいないと困る理由もやっとわかるというものだ。

=埼玉新聞経済面 県内大学発「経世済民」=