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2017.1.17

社会生む説得の技法

片柳栄一

聖学院大学大学院客員教授

村上純子

かたやなぎ・えいいち 44年生まれ。京都大学文学部卒、同大学院博士課程満期退学。京都大学教授、聖学院大学教授を経て、2014年以来現職(大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科ヨーロッパ文化学担当)。主書『初期アウグスティヌス哲学の形成』(創文社95年)。

 ■議論を軽視する日本人

 ドイツ人を中心とした研究グループと共同して論文集を作成する機会があり、その協議のためにドイツで開かれた会合に出席して驚いたことがある。この会合は毎年2泊3日かけて4年間続けられ、白熱した議論の連続であった。

 各々の論文執筆者が1時間ほどかけて構想をまず述べ、それに20人ほどの研究者が徹底して質問し議論し合った。彼らの議論好きというか慣れた様子にはほとほと感心した。それが長いヨーロッパの精神的伝統を背景に、徹底した訓練と経験の中で鍛えられてきたものであることをまざまざと見せつけられた。

 私たち日本人はこうした議論に慣れていない。議論の巧みな人を、口舌の徒、言葉だけの人間とか言って、議論し説得することを軽視しがちである。

 ■プラトンの批判

 私自身、この議論軽視の風潮に慣れ親しんできたように思う。この傾向が私の中でさらに強められたのは、学生時代に読んだプラトンの考えの影響にもよる。プラトンは説得の技法(レトリック)と哲学をしばしば対比させている(『国家』484a以下、『ゴルギアス』500c以下等)。説得の技法の場は、法廷や議会であり、目指すのは、ある限られた時間のうちで相手を説得することである。多数が説得され、裁決されれば、場合によっては、白が黒とされることもある。

 それに対して哲学が目指すのは真理の発見であり、時間にとらわれることなく、徹底的に真偽を明らかにすることである。真理の探究としての哲学の意義がまことに巧みに語られ、読む者を説得せずにはおかない。

 大衆扇動が改めて問題になる今日、プラトンのレトリック批判はなお生きており、この強固な議論から抜け出すのは私にとって容易でなかった。説得の技法が私の中で復権されたのは、最初にも述べたような欧米社会の精神風土に根付いている議論・説得の尊重の文化に親しんだことによってである。ギリシア・ローマ時代以来、先ず青年に求められたのは、この説得の技法の教育であった。この伝統は今も欧米社会に生きている。

 ■民主主義に欠かせない

 私には長い間、なぜ支配の技術ではなく、説得の技法がまず青年に要求されるのか、よく分からなかった。ヨーロッパの社会に触れ、文化を学ぶ中で、なぜ説得の技法を人々がそれほど尊重するのかが段々分かってきた。

 説得することが重要になるのは、国家社会の進路が、どこか隠されたところで、一握りの者によって決定され、上意下達されるのでなく、皆の意見が示される中で、共同の社会を建設しようと意志が統合される制度、まさに民主主義の中においてである。説得し難い若者たちの間で立ち往生しながら、なお熱を込めて議論し、説得することに努めたいと、民主主義が世界的に問い直される今、改めて思う。将来のしなやかな生き生きとした社会を生み出すために説得の技法は欠かせないのだから。

=埼玉新聞経済面 県内大学発「経世済民」=