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2017.2.21

外国人のための日本語教育

黒崎佐仁子

聖学院大学日本文化学科准教授

黒崎佐仁子

くろさき・さとこ 78年生まれ。早稲田大学大学院日本語教育研究科修了。日本、中国、アメリカの教育機関(日本語学校および大学)にて日本語教育に従事。聖学院大学特任講師、助教を経て、2015年4月より現職。専門は日本語教育学。

■日本語で悩む外国人

「声」には「人々の考え・意見」、「声を上げる」には「意思表示をする」という意味がある。メディアを通じて、世界各地の声を目にしない日はない。声を上げなければ変えられてしまう。または、何も変わらないからだ。抗議デモのように数千人規模による声もあれば、「保育園落ちた日本死ね」のように、個人ブログに書かれる声もある。その声がどのように広がり、どのように影響するかは、未知である。

しかし、声が国を動かし、世界を動かすこともある。少なくとも、「保育園落ちた日本死ね」によって、行政は動いた。

2020年東京五輪・パラリンピックを見据え、訪日外国人を意識した取り組みが始まっている。例えば、国土地理院は外国人向けの地図記号を決定し、警察庁は道路標識を英語併記のデザインに変えようとしている。このように訪日観光客を意識した整備は、国内のグローバル化への対応とも言えるだろう。

しかし、日本語で悩むのは、観光目的の短期滞在者ばかりではない。日本には、仕事や学業などで、中長期的に滞在する外国人もいる。その中には、永住や定住を視野に入れる人もいる。学ぶため、働くため、家族と暮らすため、迫害から逃れるため、さまざまな理由で日本で生活する外国人がいる。

彼らの中には、日本語のせいで不満が言えない、相談ができない、そして意思表示ができない人がいる。無論、国際交流センターや通訳ボランティア等が日々多言語対応で尽力している。しかしながら、いかに多言語体制を整え、協力を惜しまなかったとしても、全ての言語でささいな声にまで対応するのには、限界がある。

■公的プログラムの整備

日本人の多くは日本語で暮らしている。つまり、日本語ができれば、声の受け取り手は、大きく広がるのである。多言語対応の整備はもちろんであるが、やはり声の持ち主にも、日本語という力が必要である。あいさつなどの決まり文句は別として、声となる日本語を習得するには、教育が必要である。

現状では、地域のボランティア教室が、日本語学習・教育のサポートを行っている。つまり、公的プログラムがないために、無償奉仕に頼っているのである。

言葉が通じないことは、不安感や恐怖心を生み出す。このような感情は、外国人だけでなく、日本人も抱くだろう。不安や不満を軽減させるためには、日本語を学ぼうという姿勢と外国人の声に耳を傾けようという姿勢の両方が必要である。

日本人も外国人も、互いに意思を表示し合える社会を作るためには、日本語学習・教育の支援を目的とした公的プログラムも整えていくべきである。少子高齢化が進む日本で、現在と同じだけの便利さと発展を望むのであれば、誰もが活躍しなければならない。そのような日本の未来を描くならば、今後、ますます日本語教育の必要性が高まっていくに違いない。

=埼玉新聞経済面 県内大学発「経世済民」=