病室で見た中島みゆきの姿…心打たれた狭山出身の歌手、ステージで人々を笑顔に 目指す紅白へ活動続く
狭山市で生まれ育ち、歌手・司会業として活躍する中島まさるさん(31)。「みなさんを明るく照らすような存在になりたい」との思いを込めて「埼玉県の歩くミラーボール」のキャッチフレーズで活動。きらびやかな衣装をまとって各種イベントのステージに立ち、歌や軽妙なトークで人々を笑顔にしてきた。
中島さんは大学卒業後、都内の大学に勤務。月曜から金曜は職員として働く傍ら、土日は歌手活動を続けてきたが2013年末で大学職員を退職した。翌14年からは歌手活動に専念することとなり「名前も顔も知られていないので1年間は狭山や所沢、川越などで人が集まるイベントに数多く出演して触れ合いを重ねてきた。ゴールとして15年の2月1日にバースデーライブができました」と振り返る。
歌手を目指すようになったのは小学6年生のころ元「モーニング娘。」の中澤裕子さんがソロで歌っている姿と番組で司会を務めるギャップに引かれ「漠然と自分の目指すところは中澤さんのような姿だと思うようになった」と語る。「元々シャイで引っ込み思案で人見知り。小学校の授業で手も上げられないような子どもでした」という中島さん。
人前に立つことが苦手だった少年が変わる切っ掛けとなったのは中学1年生の冬。大病をして入院した際に病室のテレビで見た紅白歌合戦で中島みゆきさんが黒部ダムで「地上の星」を歌い上げる姿に心打たれた。「12歳ながら勇気をもらった。歌手への道を志す気持ちをさらに後押ししてもらった」という。
昨年から続く新型コロナウイルスの影響で思うような活動ができない期間が続いたが感染防止対策を施した上でライブ活動も少しずつ再開できるようになった。中島さんは「狭山市から目指せ紅白歌合戦をキーワードに活動を続けていきたい。今できる力を最大限発揮して前へ前へと進んでいきたい」と拳に力を込めた。