<もっとさいたまにスポーツを2>新型コロナ終息した後の地域復活に 民間と行政のコラボ不可欠
私がプロバスケットボールチームの埼玉ブロンコスを買収した意図について、もう少し説明しておきたい。
1年ほど前から、さいたまのバスケットボール好きな人が東京や千葉へ観戦に行っていることは耳にしていた。当初は「バスケって人気なんだな」と思っただけだったが、考えてみればこれだけ大きな都市だからバスケ人口もファンも多くて当たり前だ。
埼玉県は自動車保有台数が愛知県、東京都に次いで3位(2019年10月末)。さいたま市も相当数に上るとみられるが、これは40代半ば、働き盛り人口の多さの表れ。この世代が20歳前後だった20~25年前は、マイケル・ジョーダンやデニス・ロッドマンといったNBA選手が人気を集め、漫画「スラムダンク」がはやった。その子ども層でもある高校生もバスケへの関心が非常に高い。
ブロンコス買収は私が実行したが、一方では「なぜ自分が」という思いもあった。本当は地元、さいたまの人たちが支えるべきと考えるからだ。(池田氏が再生に取り組んだDeNAベイスターズ本拠地の)横浜なら「よそ者に何をやらせているのか」と黙っていないに違いない。
1978年にハマスタ(横浜スタジアム)が造られた時も、当初は(西武鉄道グループ元オーナーの)堤義明氏が資金を出すという話だったようだが、地元が反発し資金を集めた。ベイスターズでハマスタを買収しようとした時は「横浜の魂をDeNAには渡せない」と猛反発を食らった。
私がベイスターズの社長になった時、横浜は口は出すが金は出さない街と聞いた。さいたまと違い、みんな口うるさい。それでも経済界、商売人の人たちは私のやり方を理解すればお金も出してくれるようになった。地域のスポーツを"元気玉"と考える人たちが支えてくれ、市民にも波及したことが大きかった。
本来は、地域の人たちのスポーツに対する愛が地域を元気にするものだと思う。だからブロンコス再建の担い手が本当に自分でいいのかという気持ちはある。
でも、さいたまスポーツコミッション(SSC)会長として1年を経た結果、スポーツで地域活性化を進める戦略はこれしかないと判断した。クリテリウムだけなら、お祭りでしかない。お祭りは興行ではないし、多くても年に数回、しかも公益的側面が強い。新型コロナウイルスが終息した後の地域復活のためには、1年を通して市民が盛り上がり、次の時代を体現する元気玉が必要。復活と再生が心をつかむ。戦後の力道山の興行のように。復活の象徴となるためには民間と行政のハイブリッドのコラボが不可欠だ。
さいたまの人たちがブロンコスに、口は出すけど金は出さないのか、口も金も出すのか、あるいは口も金も出さないのか。いずれにせよブロンコスはスポーツに対する市民の夢を背負った。市民も「自分事ではない」とは言えなくさせる。
■池田純(いけだ・じゅん)1976年横浜市生まれ。早大卒。住友商事、博報堂を経て2011年12月、株式会社横浜DeNAベイスターズの初代社長に就任、観客動員数、売り上げ拡大に実績を挙げた。16年10月の退任後はスポーツ庁参与などを歴任し、19年3月から現職。