埼玉新聞

 

72回連続で県展に出品 100歳の菅野さん 「絵は生きがい、これからも」 戦時中は鹿児島・知覧で働き、特攻隊の出発見守った経験も

  • 自宅のアトリエで筆を持つ菅野鈾一さん=本庄市児玉町児玉の自宅

    自宅のアトリエで筆を持つ菅野鈾一さん=本庄市児玉町児玉の自宅

  • 自宅のアトリエで筆を持つ菅野鈾一さん=本庄市児玉町児玉の自宅

 16日は長寿を祝う「敬老の日」。今年、百寿を迎えた本庄市児玉町児玉の菅野鈾一(せんいち)さん(100)は20代で始めた絵を現在も趣味として続けている。菅野さんは「絵は生きがいなので、これからも描き続けていきたい」と意気込んでいる。

 菅野さんは大正13(1924)年、東京生まれ。10歳の時に児玉に引っ越してきた。埼玉師範学校(現埼玉大学)ではサッカーに励み、卒業後は小学校や中学校の教諭として勤務し、最後は児玉小の校長を務めた。戦時中は飛行機の整備兵として鹿児島の知覧で働き、特攻隊の出発を見守っていた経験も持っている。

 絵を始めたのは20代で教諭になってから。学び始めて2年ほどで公募展の白日会展で特選に入り、20代で審査員も務めた。県美術展覧会(県展)でも特選に選ばれ、第1回から今年行われた第72回まで作品を出品し続けている。

 妻の美紗子さん(93)が今年6月に施設に入所したことから、現在は長男の公夫さん(70)と2人で暮らす。公夫さんは本庄第一高校美術部の顧問を務め、同部を県展入選の常連にした実績がある。菅野さんは毎日午前6時半に起床し、自らご飯を炊くことも。午前中は公夫さんの運転でドライブに出かけ、午後は昼寝をしたり、自宅のアトリエで絵を描いたりして、午後7時には就寝するという。

 長生きの秘訣(ひけつ)について、菅野さんは「好き嫌いせずに何でもよく食べるが、特に納豆や梅干しはよく食べる」と語る。食欲は旺盛で、ラーメン店に出かけた時には「大盛り」を注文したことも。公夫さんは「私より食欲がある」と苦笑いを浮かべた。

 創作意欲も衰えない。「いま描いている絵を、もっと良くしたい。もう少し良い絵が描けるのではないかと思っている」と語る。公夫さんは「私もそう在りたいと思える存在で、これからも元気で長生きしてもらえれば」と話していた。

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