埼玉新聞

 

【シネマの花道(3)】寄る辺なき時代に、居場所を求めて 「愛に乱暴」「ナミビアの砂漠」

  • (C)吉田修一/新潮社(C)2024「愛に乱暴」製作委員会

    (C)吉田修一/新潮社(C)2024「愛に乱暴」製作委員会

  • (C)吉田修一/新潮社(C)2024「愛に乱暴」製作委員会

    (C)吉田修一/新潮社(C)2024「愛に乱暴」製作委員会

  • (C)2024『ナミビアの砂漠』製作委員会

    (C)2024『ナミビアの砂漠』製作委員会

  • (C)2024『ナミビアの砂漠』製作委員会

    (C)2024『ナミビアの砂漠』製作委員会

  • (C)吉田修一/新潮社(C)2024「愛に乱暴」製作委員会
  • (C)吉田修一/新潮社(C)2024「愛に乱暴」製作委員会
  • (C)2024『ナミビアの砂漠』製作委員会
  • (C)2024『ナミビアの砂漠』製作委員会

 家庭だったり、職場や学校だったり。もっと大きく言えば国家だったり宗教、性別、価値観だったり。人は何かしらの属性を持ち、何かに所属して生きている。人間が社会的生き物であるゆえんだと思うが、社会が複雑化し価値観が多様化するにつれ、その存在基盤が揺らいでいるような気もする。居場所を求めて寄る辺なき時代を漂流する女性を、いま最も勢いのある俳優たちが演じている。

 吉田修一の小説を森ガキ侑大監督が映画化した「愛に乱暴」。ごく普通の生活を送っていたはずの主婦が少しずつ常軌を逸していくさまを、江口のりこが熱演している。

 専業主婦の桃子(江口)は、夫の真守(小泉孝太郎)の実家の離れに夫婦で暮らしている。結婚して8年、母屋に住む義母(風吹ジュン)とも適度な距離で付き合い、講師を務めるせっけん教室も好評。だが、真守の浮気が発覚、せっけん教室の閉鎖が決まるなど、平穏に見えた桃子の生活は音を立てて崩れていく。

 序盤、なにげない日常の場面が続くが、そこには既に不穏な空気が漂っている。話しかけてもろくに返事をしない夫。不満げなまなざしを送ってくる義母。観客に分かるぐらいだから本人が気づいていないはずはないのだが、桃子は良き妻、気配りのできる嫁、充実した日々を送っている主婦を、懸命に演じているように見える。何も問題はない、平凡だけど幸せな家庭だ、夫が浮気なんかするわけがない―。そう自分に言い聞かせながら。つまりそれは、いまの居場所を死守しようとしていることに他ならない。

 だが、愛人を選んだ夫から現実を突きつけられたことで、桃子の言動や日常は少しずつ、確実にゆがんでいく。次第に狂気を帯びていく桃子を冷徹に、コミカルに演じる江口がはまり役だ。

 この夏だけでも「あまろっく」「お母さんが一緒」「愛に乱暴」と、江口以外では想像できない主演映画が立て続けに公開されたが、今作で赤いチェーンソーをまるで赤子のように抱いてうっすら笑みを浮かべる場面は「怪演」以外の言葉が見つからない。チェーンソーを持つ立ち姿が絵になるとは、恐るべき存在感である。

 しがみつこうとした妻、嫁、仕事という居場所は、思いの外もろかった。だが、自分にとって本当に居心地のいい場所というのは、世間がこうあるべきと決めた枠からはみ出たところにあるのかもしれない。ラストの桃子の表情が、そう思わせてくれる。

 特に将来の夢があるわけでもなく、ただ退屈な日々を生きている。そんな主人公をひたすらカメラが追い続けるのが、山中瑶子監督の「ナミビアの砂漠」だ。カンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。エキセントリックなヒロインを、快進撃が続く河合優実が演じている。

 群衆が行き交う駅ビルのデッキ。カメラは白い長袖シャツに短いスカート、帽子をかぶってぶらぶら歩く若い女性に寄っていく。タバコを吸い、喫茶店で高校時代の友人とダベる。よく覚えていない同級生が自殺したという話を聞きながら、隣席の男たちの「ノーパンしゃぶしゃぶ」の話題が耳に入ってきて仕方ない。

 この冒頭の場面から、河合演じる無気力な主人公カナから目が離せなくなる。ドラマ「不適切にもほどがある!」のヤンキー女子高校生とも、映画「あんのこと」の悲惨な家庭環境で育った女性とも違う、いまの時代どこにでもいそうで捉えどころのない、それでいて妙に気になる目をしたヒロインである。

 21歳のカナは脱毛サロンで働きながら彼氏のホンダ(寛一郎)と同居中。だがどこまでも優しいホンダに退屈し、自信家のクリエーター・ハヤシ(金子大地)にあっさり乗り換える。張り切って新生活を始めたものの、自分だけを見てほしくて「かまってちゃん」ぶりを発揮。取っ組み合いのけんかを繰り返すうちに、自分自身をコントロールできなくなっていく。

 なんでハヤシは別れないんだろうというぐらい、わがままでやりたい放題のカナ。一方で仕事はマニュアル通り淡々とこなし、非常識な人間だと思われたくない一面もある。行動と内面が乖離し、自分でもどのように生きたらいいのか分からない。やり場のない憤りだけが募る。カウンセリングで病名を欲しがるのは、分からないことだらけの自分を何でもいいから定義づけてほしいという願望かもしれない。

 カナが1人の時にスマホで眺めているナミビアの砂漠のライブ動画を見てみた。薄暗い水飲み場に動物はいなかったが、なぜか目が離せなくなった。467人が同じ動画を見ていた。やがて、夜が明けた。(加藤義久・共同通信記者)

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