埼玉新聞

 

選手支える立場で力尽くす 荒木田裕子さん、大きな足跡

  •  東京五輪招致が決まり、笑顔で写真に納まる荒木田裕子さん(左端)=2013年9月、ブエノスアイレス(共同)

     東京五輪招致が決まり、笑顔で写真に納まる荒木田裕子さん(左端)=2013年9月、ブエノスアイレス(共同)

  •  東京五輪招致が決まり、笑顔で写真に納まる荒木田裕子さん(左端)=2013年9月、ブエノスアイレス(共同)

 現役時代も、引退後もスポーツ界に大きな足跡を残した。70歳で死去したことが18日、明らかになったバレーボール女子の1976年モントリオール五輪金メダリスト、荒木田裕子さんは「私にできることは全てやる」という情熱を持ち、選手を支える立場で力を尽くした。

 五輪で出番に恵まれなかった経験が糧となった。当時の山田重雄監督(故人)からデータ分析やマネジャーの補佐的な役割を任され、裏方に徹した。引退後は欧州に留学。身につけた語学力と国際性でバレー界だけでなく、日本オリンピック委員会(JOC)や国際オリンピック委員会(IOC)でも活躍した。

 日本が28年ぶりに銅メダルを獲得した2012年ロンドン五輪。女子強化委員長だった荒木田さんは真鍋政義監督(61)と二人三脚で強化した。五輪での組み合わせに影響する世界ランキングを向上させるため、現場が「日本で国際大会をしたい」と言えばテレビ局などと交渉して招致。監督に「ユウさん(荒木田さん)がいなければメダルはなかった」と言わしめた。

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