埼玉新聞

 

小4死亡ひき逃げ 事件から15年…今も犯人逮捕願う 最後の姿を知る同級生 死を受け入れるまで長い時間 「どうして助けてくれなかったのか、本当のこと知りたい」 時効まであと5年

  • 小関孝徳さんの仏壇の前で手を合わせる同級生の堀口巴菜さん=熊谷市内

    小関孝徳さんの仏壇の前で手を合わせる同級生の堀口巴菜さん=熊谷市内

  • 小関孝徳さんの仏壇の前で手を合わせる同級生の堀口巴菜さん=熊谷市内

 熊谷市で2009年9月、小学4年の小関孝徳さん=当時(10)=が死亡した未解決のひき逃げ事件から30日で15年を迎える。孝徳さんの同級生である堀口巴菜(はな)さん(25)は今月下旬、孝徳さんの自宅を訪れ、静かに手を合わせた。生前の最後の姿を知る堀口さんは「小関は大好きで、本当に仲の良い友達だった。早く犯人が見つかり、捕まってほしい」と語った。

 事故は09年9月30日午後6時50分ごろ、熊谷市本石の路上で発生。孝徳さんは書道教室から自転車で帰宅している途中に事故に遭った。県警は時効目前となった19年9月、自動車運転過失致死罪から危険運転致死罪に罪名を変更し、捜査を継続することになり、時効は10年延長になった。

 「小関はとにかく優しくて、運動神経も良く、みんなから好かれていた」と堀口さんは振り返る。孝徳さんと小学校3年生の時にクラスが一緒になったことから、仲良くなっていった。同じ書道教室にも通っており、書道教室が終わってから目の前にある星川で一緒に遊ぶことが楽しみだった。

 堀口さんは書道教室まで親が車で送迎していた。孝徳さんは同じタイミングで書道教室が終わっても、先には帰宅せず、堀口さんの親が迎えに来るまで待ってくれていた。「事故が起きた日も私を待ってくれていた。もし早く帰っていたら…」と涙を流した。

 全校集会では泣いてしまい、最後まで話を聞けなかった。だが、げた箱に名前があったり、机の中にも引き出しがあったりして、死を実感することができなかった。それでも登校で同じ時刻に校門の前に到着し、げた箱まで競争することがなくなり、学校でカウンセリングも受けたりして、徐々に実感していった。

 死を受け入れるまで長い時間がかかったが、命日の日を忘れたことはなく、自宅で目を閉じて、孝徳さんに話しかけている。現在は公務員として東京都内の児童館で勤務しており、小学生も自転車で来るが、「同じことは起こってほしくなく、『帰りは本当に気を付けて』と伝えている」。

 時効まであと5年となるが、今も変わらず犯人の逮捕を願っている。「事故のことを知るのは怖い気持ちもあるけど、どうして助けてくれなかったのか、本当のことを知りたい」と語る。自分にできることとして、孝徳さんの分も一生懸命生きていくつもりだが、「もしできるならもう一度会いたい。最近は夢にも出てきてくれないので、たまには会いに来てほしい」と話した。

 孝徳さんの母親は情報提供の呼びかけと死亡ひき逃げ事件の時効撤廃を求める活動を続けている。30日は同市のコミュニティーFM「FMクマガヤ」に正午から生出演するほか、夕方からは事故現場付近で県警とチラシを配布し、情報提供などを呼びかける。

 母親のブログは「《未解決》熊谷市小4男児死亡ひき逃げ事故!」(https://ameblo.jp/kosekitakanori/)。

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