埼玉新聞

 

拉致被害者取り戻す訴え、実らずに 飯塚繁雄さん死去 兄がいない…弟「八重子はどんなに悲しむだろう」

  • 本間勝さんが見る写真には結婚式の繁雄さん、その傍らにセーラー服の田口八重子さんがいる=11日、川口市中央図書館

 18日未明に83歳で亡くなった飯塚繁雄さん=上尾市=は、川口市出身の拉致被害者田口八重子さん=当時(22)=の兄として、拉致被害者家族連絡会代表として、日本政府や国際社会に拉致被害者の救済を訴えるメッセージを発信してきた。2019年1月の川口市での講演では「北朝鮮に対しては核問題と切り離して拉致被害者を取り戻すための実質協議を」と訴え、18年2月の蕨市での講演では「オリンピックもチャンスかもしれない。実質協議に結び付ける努力を」と訴えた。どれ一つ見える形では実ってはいない。

■末っ子

 「繁雄兄は俺たちの心を代弁してくれた。その偉大な兄が息を引き取ったことは重い。ぐっとくる重さを感じる」。弟の本間勝さん(77)は18日、悲しみをこらえながら語った。

 八重子さんの3人の兄のうち、勝さんだけが残った。真ん中の進さんは14年5月、拉致被害者救済のキャンペーン行脚のバイクの旅の途中、鳥取県で亡くなった。

 八重子さんは7人きょうだいの末っ子。繁雄さんには17歳下の八重子さんは、かわいい妹だ。八重子さんも繁雄さんを慕った。「繁雄兄はここで死ぬのは無念だろう。しかし、八重子が帰国した時、繁雄兄がいないことを知る。八重子はどんなに悲しむだろうかと思うと、つらい」と勝さん。

■シングルマザー

 毎年、川口市の主催で川口駅前の中央図書館で開かれる「田口八重子さん写真展」では、結婚式の繁雄さんの傍らに市立川口女子高校生のセーラー服の八重子さんの写真がある。幸せそうな兄と妹。その表情にはその後に一家を襲った理不尽な事件を予測することはできない。

 18年の蕨市での講演で繁雄さんは「結婚し子も出産し、日本人としての経験や知識を持った八重子に白羽の矢が立った」と悔しい思いを語っていた。

 1歳前後の2人の子どもを抱え、シングルマザーの道を選んだ八重子さん。川口から東京・池袋へ転居すると、保育園に子を預け池袋駅西口の飲食店で働いていた。新たな一歩を踏み出した八重子さんが1978年6月29日、突然失踪した。

 保育園からの呼び出しに、訳も分からないまま駆け付け、店や託児所を訪ねたのが繁雄さんだった。その時、わが子として引き取ったのが家族会事務局長の飯塚耕一郎さん(44)だ。

■実質協議

 蕨の講演で繁雄さんはこうも語っていた。「北朝鮮が70年代に日本人拉致を始めたが、日本の政府、政治家は助ける姿勢が全くなかった。みんなが逃げる不作為状態が長く続いたことが、今も被害者を苦しめている原因だ」。政府を厳しく批判した。

 川口の講演では、日頃は温厚な繁雄さんから厳しい発言が出た。「拉致問題はお涙頂戴の話ではない。今後もあってはならない」

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