新1万円札の肖像「渋沢栄一」、全盲の学者「塙保己一」…あと1人は? 交代の陰に男女共生 「埼玉三偉人」のなぞ 鎌倉時代の武将「畠山重忠」から日本最初の女性医師「荻野吟子」へ
JR浦和駅の西口の一角に「埼玉の三偉人」のレリーフがひっそりと建っている。日本の資本主義の父・渋沢栄一、全盲の大学者・塙保己一、そして鎌倉時代の武将・畠山重忠。「あれ、重忠ではなくて、荻野吟子じゃなかったっけ」と思う人もいるかもしれない。実は荻野吟子が三偉人に定着したのは、比較的最近のこと。その背景には、男女共同参画の推進という時代の変化があった。
畠山重忠が入った三偉人を選定したのは埼玉新聞社だった。1979年に、創刊35周年事業として「県民投票」で決め、三偉人のレリーフを駅前に設置した。
県民投票では、埼玉新聞社があらかじめ選んだ10人の候補から3人を選んで、はがきで「投票」してもらった。投票総数は約30万2600票。畠山重忠が5万3972票でトップ。渋沢栄一が5万3623票、塙保己一が5万3286票と、この3人が他を大きく引き離して「三偉人」に決まった。
改めて10人の候補を見ると、田代三喜や林頼三郎など、地元以外では知名度が低い人物も。その一方で荻野吟子はおろか、女性は1人も候補に挙がっていない。“おじさん目線”の人選だったようだ。
◇
現在、県のホームページで「埼玉ゆかりの三偉人」として紹介されているのは渋沢栄一、塙保己一、荻野吟子だ。畠山重忠も紹介されているが、「三偉人」の枠には入っていない。いつから交代したのだろうか。
だが、県の担当の文化振興課では「(三偉人は)県が正式に定めたものとは確認できなかった。慣例的なものと認識している」と意外な答えが返ってきた。
県は県民に郷土への愛着を深めてもらおうと、市町村から情報を集めて「埼玉の偉人データベース」を2001年から公開している。数多く挙げられた偉人たちの中から、渋沢、塙、荻野がクローズアップされるようになる。
06年1月1日発行の「彩の国だより」では、「挑戦者たちの魂を受け継いで」との見出しで、この3人の業績を大きく紹介している。また、県は02年に「渋沢栄一賞」を創設。受賞対象は、渋沢の精神を受け継ぐ経営者らだ。05年に「荻野吟子賞」(男女共同参画に貢献した個人や団体が対象)、07年には「塙保己一賞」(障害がありながら活躍する人や、支援する団体などが対象)が設けられていく。
「その精神を受け継いだ人を表彰するということになると、近代以降の人の名前を挙げた賞の方が理解されやすい」と同課の担当職員。こうなると、重忠のような武将には分が悪いといえそうだ。
◇
「埼玉は東京に近すぎて特色を出すのが難しいが、『こんな立派な人たちがいた』と言うと特色が分かりやすい」。県が三偉人のアピールを始めた頃に知事を務めていた上田清司参院議員は振り返る。取り上げる偉人は1人よりも複数。しかも覚えやすい3人がいい。この時、埼玉新聞社が選んだ「三偉人」のことは知らなかったという。
医師開業試験が男性しか認められていなかった時代に、困難を乗り越えて日本初の公認の女性医師となった荻野吟子。「男女共同参画の草分けともいえる人物。扉を開いた人が一番偉い」と上田氏は話す。県では2000年に男女共同参画推進条例が制定され、女性政策が積極的に進められていった。男女共生の社会が進むにつれ、荻野吟子が三偉人に定着するのは自然な流れだった。
■女性の社会参加、制度理解が課題
女性活躍の先駆者、荻野吟子を生んだ埼玉県だが、現状はどうだろうか。2024年6月に内閣府男女共同参画局を作成した「全国女性の参画マップ」を見てみる。
政治参画では、都道府県議会における女性議員の比率が埼玉は16・1%で全国14位(県議93人中で女性議員15人)。市区議会議員では女性の割合が26・9%で同2位、町村議会議員では20%で同4位と、まずまずの数字だ。
しかし、管理的職業従事者(会社役員、管理的公務員)に占める女性の割合では、埼玉県は13・5%で、全都道府県の中で43位と下位に甘んじている。ただ、1位の徳島県ですら19・6%に過ぎず、日本の職場内での女性の地位向上は課題があるといえそうだ。
また、県人権・男女共同参画課の「統計でみる埼玉の男女共同参画」によると、男性の家事・介護・看護・育児時間は、21年には埼玉は全国1位に。ただ、1日当たりで38分(全国平均は33分)という数字は、残念ながら高いとはいえない。
同課共生推進幹の鵜沢浩美さんは「(男女共同参画の)制度は整っているが、現状はそれを使い切れていない」と話す。制度の周知を図るとともに、「荻野吟子賞」などを通じて意識啓発を図っていくという。