埼玉新聞

 

アイナ・ジ・エンド新譜「RUBY POP」でインタビュー 死を覚悟した事故直後、頭の中で鳴りやまなかったメロディーは

  •  アルバム「Ruby Pop」をリリースしたアイナ・ジ・エンド

     アルバム「Ruby Pop」をリリースしたアイナ・ジ・エンド

  •  アイナ・ジ・エンド

     アイナ・ジ・エンド

  •  BiSH時代には振り付けも担当していたアイナ・ジ・エンド。「小さな頃から頭の中にいる誰かが踊っていた」

     BiSH時代には振り付けも担当していたアイナ・ジ・エンド。「小さな頃から頭の中にいる誰かが踊っていた」

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  •  BiSH時代には振り付けも担当していたアイナ・ジ・エンド。「小さな頃から頭の中にいる誰かが踊っていた」

 心のひだまでむき出しにするような歌声でファンを魅了するアーティストのアイナ・ジ・エンドが、ソロとして3年ぶり3作目となるアルバム「RUBY POP」をリリースした。「楽器を持たないパンクバンド」として人気を博し、2023年6月に解散した6人組「BiSH」の元メンバー。解散後に公開された主演映画「キリエのうた」(岩井俊二監督)は、自身が手がけた劇中歌も話題となった。布袋寅泰や米津玄師らの新作アルバムでも客演し、CMソングの依頼も途切れない。ひび割れたようにかすれ、きしむハスキーボイス。時代が求めるその歌声の持ち主に話を聞いた。

 【アイナ・ジ・エンド】1994年生まれ、大阪府出身。15年に「BiSH」のメンバーとして活動を始め、翌年メジャーデビュー。23年6月の東京ドーム公演で解散した。21年には全曲を作詞作曲したアルバム「THE END」をリリースしてソロ活動も本格化。22年にはミュージカル「ジャニス」でジャニス・ジョプリン役を演じ、23年には岩井俊二監督の映画「キリエのうた」に主演し、日本アカデミー賞新人俳優賞をなどを受賞した。

【(1)本当はとても弱い自分】

▼記者 9月に初めての東京・日本武道館公演を成功させました。BiSH時代から目標に掲げていた武道館公演でしたが、いかがでしたでしょうか。

●アイナ 燃え尽きて、泥みたいになっちゃいました。でも、疲れていたのに終わって2日間ぐらいは逆に寝られなくて…。

▼記者 それだけ集中して、高揚もしていたんでしょうか。

●アイナ そうかもしれないです。公演の何日間か前に1人でふらっと渋谷の喫茶店に入ったんですけど、ちょっとうるさいかなってぐらいのピアノの曲が流れてて、コーヒーを飲んでいたら泣けてきて。いっぱいいっぱいになってたのか、情緒が安定せず。声を出して泣きました。でかい音量に感謝しましたね。

▼記者 かなり追い込まれていたんですね。

●アイナ そうですね。私にとっては、大丈夫なふりをするのが平常心を保つ方法なんですけど、そうするうちに本当の気持ちを見失ってたというか…。本当はとても自分は弱くて、一人でかじを切るっていう勇気はあんまりないのに「私にならできる」と言い聞かせ過ぎて、強がっていたんだと思います。

▼記者 武道館公演が終わって一息かと思ったら、新曲が次々とリリースされ、11月27日にはニューアルバム「RUBY POP」が発売です。すごくバラエティーに富んだアルバムですね。CMソングも多いのは、アイナさんの歌が求められている証拠です。例えば2曲目の「Poppin’Run」は乗用車のCMソングですね。

●アイナ 「T―Cross」という車のCMで、「交わる」がテーマでした。人と交わるのが人生じゃないですか。1人で生きて死ぬこともあるかもしれないけど、私はなるべく人と交わって、傷つけられたり、傷ついたりして、「宝石みたいな日々」を送っていきたいと思っているので、その等身大の気持ちをそのままつづりました。

▼記者 タイアップは求められる要素も多いですよね。「ハートにハート」はポッキーのCMソングですけど、意表を突く激しい曲調で衝撃的でした。ポッキーのCMはもっとさわやかなイメージでしたけど…。

●アイナ ポッキーのCMだけどバリバリ変拍子のロックを書いて、これがアイナはいいと思う、って提案したら通ったんです(笑)。

【(2)一人で越えられなかった22歳の夜】

▼記者 この曲は歌詞も面白いですね。「夜と結婚する」というフレーズは、日常の裂け目から飛び出していくようですごく鮮烈です。こういった言葉はどうやって見つけるのでしょうか。

●アイナ 私は今、29歳なんですけど、22歳ぐらいの時に、どうも夜を一人で越えられない時期がありました。お酒もそんなに飲めないし、もっと豪快にお酒をたくさん飲んで、たらふく食べて、気持ちよく眠れる人だったら良かったんですけど、豪快に飲んで豪快に寝てしまった次の日にはもう生きた心地がしない訳ですよ。何であんな夜をやってもうたんや、もったいない、もっと本でも読めたやろ、何やってねん!みたいに思ってて。そうやって友達とも遊ばず、一人ぼっちで夜の「空け方」が分からず、暗がりに落ちたんです。そうしたら、この暗闇を受け入れるしかない。夜を得意だと思い込もう。あ! 夜と結婚すれば、夜を愛せるかもって思ったんですよね。

▼記者 かなり鬱々とした22歳ですね。

●アイナ そうですね(苦笑)。誰ともうまく遊べなかったし、結婚できる自信もなかった。今回、CMソングを書くことになって、このメロディーなら、22歳の時のあのフレーズも合うし、今ならもう1人で夜も越えられる、夜と結婚できる、と思いました。

▼記者 時間をかけて磨かれた言葉は面白いし、力がありますね。15曲目の「関係ない」もすごく良かった。「生活必死にやってんの」という歌詞も切実な響きがありました。この言葉はどこから出てきたのか。自分のドキュメンタリーみたいな感じなのか、それとも演じているような感じでしょうか。

●アイナ 「関係ない」は「キリエの歌」に出た時にたくさん作った中の1曲で、岩井俊二さんにも送ってたんですけど、採用されず。でも岩井さんは「使いたかった」って優しく言ってくださって、それでこの曲は駄目じゃないんだ、いつか大切な時に出そうと思って温めていたんです。(映画の主人公の)キリエは家がなくて公園で過ごすような子だったんで「生活必死にやってんの」はキリエそのまま。そこに自分の今の感情を入れてみたりして。でも実は、アルバムだと一番おちゃらけた曲でもあります。「愛のカート200ccで走る人生」って歌ってますけど、これはゲームの「マリオカート」にハマりすぎて、毎日寝ないでやっていた頃に書いたんです(笑)。200ccの設定だと速過ぎて景色も味わえないし、事故りまくる。こんな速く走る意味ないな。50ccぐらいで景色を見ながら走った方が良さそうだなと思って書きました。

▼記者 なるほど! そんな身近なところから歌詞のイメージを作っているんですね。歌詞も素晴らしいですが、アイナさんといえば声の表情の豊かさも魅力です。息継ぎや声色の変化でも物語が伝わって来ます。先ほども話題にした「Poppin’Run」では、1カ所、声の出し方が変わる部分があります。サビの最後の「あなた隣にいてね」という部分です。

●アイナ 違いますよね。

▼記者 パーソナルな部分がぱっと出てくる感じがしました。

●アイナ 私、ドライブで気持ちよく聴ける曲があんまりなくて、なんか全部カロリーが高いというか(笑)。

▼記者 夜中に聴くイメージがあります。

●アイナ ですよね。だったのでドライブで聴ける曲を作ろうとしたんです。でも爽快過ぎると今度は“アイナ・ジ・エンドみ”がないかもしれないと思って。「あなた隣にいてね」っていう部分は、しゃべりに近い声色。これなら爽快過ぎないかなって思いました。

【(3)人生で初めて思った「死にたくない」】

▼記者 収録曲はどれも素晴らしいですが、やはり「宝石の日々」に胸を打たれます。去年3月、ちょうどBiSHが解散ライブに向けて大詰めの時期に大けがをされて、その時に作った曲だそうです。一番大変な時期じゃないかと思いますがいかがでしょうか。

●アイナ 私のファンの方ですか?

▼記者 BiSHの解散ライブも取材させてもらいました。

●アイナ ありがとうございます。TVアニメ「機動戦士ガンダム 水星の魔女」の最終回の挿入歌を作らなきゃいけない時期だったんですけど、撮影中の事故でおでこを30針縫うけがをして、救急車に乗って「もう自分は死ぬんだろうな」ってリアルに思ったんです。手のひらでおでこの傷を抑えると、血がピッピって定期的に手のひらに当たる。このまま死ぬ…と思った時に、めちゃくちゃ後悔したし、めちゃめちゃ悔しかったんですよね。BiSHが解散する東京ドームにも立てないし、ずっと忙しかったから親孝行も何一つできずに死ぬんか、みたいな。親友とか友達にも「ありがとう」とか言ったこともないし、恥ずかしがって。BiSHのメンバーにも何も言うてないし。人生で初めて「死にたくない」と思ったんですよ。その時の経験はものすごく大きくて、生かしていただいてるんやったら、「ありがとう」とか「大好きだよ」をちゃんと言語化しなきゃいけないなって。こういう日々を紡いで、ちゃんと人生をめでて死にたいなと思ったんです。その気持ちを「宝石の日々」という曲に入れつつ、「水星の魔女」のスレッタとミオリネちゃんっていう2人の主人公の女の子の物語も割と近しいなと思って、自分の体験とまぜこぜにして歌詞を書きました。

▼記者 メロディーも自然に出てきたんですか。

●アイナ そうですね。リハビリのために自転車に乗ってたんですよ。縫って1週間後ぐらいで。BiSHのツアーですぐ踊って歌わなきゃいけない。リハビリということでチャリで段差を「キャー」って言いながらガタガタ走って。その時にずっと頭に鳴ってるメロディーが「宝石の日々」のサビでした。オルゴールみたいに柔らかい音色で頭の中にずっと鳴ってて、多分この曲を書けって言われてんだろうな、と。ちょうどいい巡り合わせでメロディーが生まれました。

【(4)「大ミスだった」ツテないままの上京】

▼記者 頭の中で流れたメロディーから曲ができたということはこれまでもありますか。

●アイナ 音楽はあんまりないんですけど、ダンスの振り付けはそういうことがあるんです。4歳からダンスをやってるんですけど、小さい時からずっと頭が踊ってました。誰としゃべってても、じっとしてなきゃいけない時でも、ずっと頭の中にいる誰かが踊ってて、多分ちっちゃい時から振りを考えてたんだと思うんです。

▼記者 頭の中でちっちゃい誰かが踊るような感じですか。

●アイナ そうですそうです。当時のダンスレッスンで一番うまい女の子とかがずっと頭の中で私の振り付けを踊ってくれてて、自分にはできない技も頭の中だとできて、みたいな。それが大人になるにつれて現実になっていく。実際BiSHでは8年間、メンバーの振り付けをさせてもらったんですが、幼少期に頭に浮かんだ振りを入れられました。なんか本当に、全部無駄じゃなかったです。

▼記者 生まれ持ってのダンサーだったアイナさんですが、歌手になろうと思って大阪から上京します。

●アイナ ダンスで生きていこうって思っていろんなオーディションを受けて、大半は落ちるんですが。ある時、ダンスの友達とカラオケに行って、私が歌った時に、その親友がめちゃくちゃ泣いて「アイナは多分歌をやった方がいいと思う。初めて尊敬した」って言われて「ええ!?」みたいな。何年も一緒におって「初めて尊敬した」って言うぐらいなら、歌の方が相当いいやん? 言うことを聞いてみるか、と思って。実はお母さんも歌手で、お父さんもバンドマンだったので、家族も抵抗がない。歌をやるなら東京かなと思って。

▼記者 それで特にツテもなく東京に来た。

●アイナ それが大ミスでしたね(笑)。専門学校ぐらい行っとけば良かったです。友達もできないし。ダンスも鏡の前で練習したいけど、お金がなくてスタジオも借りられず、夕暮れの公園とかでよく踊ってたんですよ。渋谷の宮下公園に練習しに行ったら、同い年ぐらいの男の子が「動画撮りましょうか」「スピーカー使いますか」とか言ってくれたりして、みんなでサークルを作ってダンスバトルとかやってて。

▼記者 歌も駅前で弾き語りをしたりして、試行錯誤を続けながら、BiSHのオーディションを受けた。ストリート育ちで野生の印象があります。

●アイナ あてもなく上京したことはリスキーだったけど、そういう風に自分で開拓できたので、面白かったですね。

【(5)何者でもなかった自分に戻れる曲】

▼記者 上京したのは何歳の時ですか。

●アイナ 18です。

▼記者 武道館公演の直前に、これまで非公表だった年齢を明らかにしました。公演前の取材では「自分の人生経験と歌はすごく関係している。年齢を公表して歌手活動をすることで面白みが一つ増えるのかな」と語っていました。武道館でアンコール前、最後に歌った「きえないで」を作ったのは18歳の時です。今、歌うとどんなことを思いますか。

●アイナ 東京・中野の野方って駅の近くに住んでたんです。すごく狭いアパートで書いた曲で、アーティストになりたいのに、浅はかにも人のカバーでやっていこうと思っていた。やっぱりオリジナル曲作らなきゃと思って作った曲で、そういう初期衝動が込められています。ありがたいことに今はお仕事で依頼を受けることが多くて、衝動に駆られて行き場がなくて曲を作るってことは少なくなりました。でも、衝動で作った曲は今歌っても昔のままですね。高らかに歌い上げて「うまくなったでしょ私」みたいな気持ちは一切なくて、いつ「きえないで」を歌っても、何者でもなさ過ぎた頃の自分に戻れます。

▼記者 BiSHが解散してから、ソロ活動もすごく充実しています。自分一人で表現をするだけではなくて、いろんな人を巻き込みながら表現を続けてる姿が印象的です。

●アイナ 21年のファーストアルバム「THE END」は本当に暗くて、「長所のない私です」とか、「ゼツボウを右手に」みたいなことばっかり書いていました。そういうのを出し切って、セカンドアルバムの「THE ZOMBIE」はいろんなことを挑戦したおもちゃ箱みたいな作品になりました。今回の「RUBY POP」は、今生きている大切な人も物も守り抜いて、めでていきたい、みんなで大切にしていこうみたいな、そういうメッセージが深く刻まれてるんです。自分の意図しないように成長しているのは周りの人のおかげで、例えば「キリエのうた」で(共演した)広瀬すずちゃんがいっぱい助けてくれたし、「ジャニス」では大好きなUAさんが女性の先輩像をしっかり見せてくれた。いろんな人が手を差し伸べてくれて成長できた。これから自分がどうなっていきたいかは正直、分からない。誰に出会って、どう自分が変わるかは分からないけど、そこに身を委ねて生きていきたい。こうありたいとか、こうしなきゃって考えてると、いい歌が歌えないんで、今、身の回りにいてくれてる人をこぼさないように、大切に、ゆっくりでもいいので歩いていけたら、また違う自分に出会えていると思っています。

(取材・文=共同通信 森原龍介 写真=安藤由華)

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