言葉にならない衝撃の風景 関東に残る廃墟、荒涼とした山肌 「人間とは何か」描き続ける 足尾に半世紀通う画家が最後の連作展
約半世紀にわたり栃木県日光市足尾町に通い、移り変わる風景を描き続ける草加市在住の画家・鈴木喜美子さん(81)。埼玉県立近代美術館(さいたま市浦和区)で2025年1月14~19日まで、「足尾―風土円環 鈴木喜美子展」が開催される。足尾は日本で最初の公害問題が起こった地。同5月、同地に開館予定の「足尾銅山記念館」に、鈴木さんが昨年までに描いた300号の大作を含む83点が収められることになり、連作が一堂に会し県内で展示されるのは最後となる。
鈴木さんが足尾と出合ったのは1978年の夏。絵画教室の生徒とスケッチに訪れた奥日光に、閉山となった銅山があることを知り、立ち寄った。夕日に照らされた山と工場が迫ってきて、言葉にならない衝撃に打たれた。
足尾銅山は、江戸時代初期に幕府の直轄鉱山として採掘が始まり、1877年に古河市兵衛が経営に着手。明治政府による「富国強兵」を背景に発展を遂げるが、周辺地域に深刻な大気・水質汚染被害を引き起こした。銅山は、1973年に採鉱を停止、閉山する。
足尾のことをほとんど知らなかった鈴木さんは、文献や資料を調べて何度も訪れた。廃墟と荒涼とした山肌の景色が、当時、母と父を相次いで亡くし追い詰められていた精神状態とも重なった。
真っすぐな制作姿勢は住民たちに受け入れられ、やがて銅山を経営していた古河機械金属足尾事業所から敷地内への立ち入りを許された。山からの眺望や、時にはヘリコプターに乗り込んで足尾の風景に迫った。時間の経過とともに、かつて描いた建造物は姿を消し、巨大な煙突だけが残った。植樹により、山にはさまざまな木々の緑も増えてきた。
「私も年を取るし、自然や風景も年を取り変化する。そこに人生が表れる。一生懸命に銅を掘って今の日本を築く礎になった人たち、亡くなった人たちの声が聞こえるようになって、本当の足尾が描けると思う」と鈴木さん。
来年創業150周年を迎える古河機械金属などが設立した古河市兵衛記念センターが、同地に歴史・文化の発信や環境教育を目的として「足尾銅山記念館」を建設。人生を投影した作品が展示、収蔵されることになり、鈴木さんは足尾や足尾を通じて出会った人々が導いてくれた縁(えにし)と感謝する。
個展のタイトル「風土円環」には命の循環、再生への願いが込められている。現在も月に一度、同地を訪ねて絵筆を執る鈴木さんは、「描くほどもっと知りたくなる。まだ完璧な足尾は描けていない。生きている限り足尾と向き合い、『人間とは何か』を描き続けたい」と語った。
同展は、午前10時から午後5時まで。入場無料。17日午後2時から、美術評論家の瀧悌三さん、新制作協会会員の松浦安弘さんとの鼎談(ていだん)が行われる。問い合わせは、「ミュゼ環・鈴木喜美子記念館」(電話048・960・0388)へ。
■鈴木喜美子(すずき・きみこ)
1943年草加市生まれ。81年、第1回日本画廊協会賞展奨励賞。栃木県総合文化センター、ニューヨーク国連本部などで個展開催。2016年、同市に私設の「ミュゼ環・鈴木喜美子記念館」開館。現・新制作協会会員、日本美術家連盟会員、草加市美術協会名誉会長。