人気の埼玉、国内唯一100年間人口増が続く テレワーク普及などチャンス、さらなる転入者増を目指す
総務省が確定値を公表した2020年10月1日時点の人口推計で、埼玉県は前年同期比3千人増の734万5千人となった。調査月などが異なり比較できない終戦前後を除けば、47都道府県で唯一、1920年の統計開始から100年にわたり人口増が続いている。都心のベッドタウンとしての人気が要因だ。
県幹部は「増え続けているのは県の魅力や勢いがあるということで、とても喜ばしい。少子高齢化が進んでいるが、テレワークの普及などをチャンスと捉え、転入者増を目指したい」と話す。
■高度経済成長期に一気
県統計課によると、60年前の1962(昭和37)年1月1日の県推計人口は250万6936人で現在の3分の1程度。その後、高度経済成長期とともに、県内人口は一気に増加した。
県人口の伸びが特に顕著なのは、昭和30年代後半から50年代にかけてで、1回目の東京五輪開催の64年から80年にかけては毎年、10万人以上の増加。「第2次ベビーブーム」前後の70~74年では毎年、約20万人の人口増となっている。この時期の人口増について県は「(出生が死亡を上回る)自然増、(転入が転出を上回る)社会増が重なり、県が東京圏の人口の受け皿の役割を果たしてきた」と分析する。
62年には草加市の松原団地が入居開始、66年には春日部市の武里団地が完成し、入居が始まるなど県内各地で住宅の整備も進んだ。人口増に伴い公共交通も整備され、現在のJR線では73年4月に武蔵野線、82年には東北、上越新幹線、85年9月には埼京線が開業している。
65年に300万人を超えた県推計人口は71年に400万人、77年に500万人に達した。87年に600万人、2002年に700万人を超えた。ただ、昨年6月から8カ月連続で減少。県は県内人口が減少傾向に転じつつあるとの考えを示している。