埼玉新聞

 

母が帰ってきたら…拉致被害者・曽我ひとみさん、狭山で講演 進展見られない拉致問題、早期解決を訴え 極寒の冬、停電や燃料不足で暖房使えず 厳しい生活を振り返る「一年、一日がもう待てない」

  • 講演で拉致問題の解決を訴える曽我ひとみさん

    講演で拉致問題の解決を訴える曽我ひとみさん=16日、狭山市入間川

  • 講演で拉致問題の解決を訴える曽我ひとみさん

 北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(65)が16日、埼玉県狭山市入間川の市民会館で講演した。曽我さんは「長い時間が過ぎたにもかかわらず、拉致問題は一向に進展が見られない。一年、一日がもう待てない」と早期解決を訴え、24年にわたる北朝鮮での厳しい生活を振り返った。

 催しは狭山市が毎年実施する人権問題講演会として行われ、市民ら約300人が参加した。

 曽我さんは19歳だった1978年、新潟県佐渡市で母ミヨシさんと歩いていたところを拉致された。2002年に日本へ帰国し、現在は拉致問題の早期解決のため、佐渡市役所の拉致被害者対策係として勤務している。

 講演では、配給や生活費が少なく家計を切り詰め、停電や燃料不足で極寒の冬も暖房が使えない、北朝鮮での厳しい生活を振り返った。「状況はさらに悪くなっていると想像している。今この瞬間にも日本に帰ることを信じ、日本を思って涙している人がいることを分かってほしい」と訴えた。

 共に拉致されたミヨシさんは、北朝鮮が「未入国」と主張し、現在も行方が分かっていない。曽我さんはミヨシさんが朝から深夜まで働いていた姿を振り返り、「自分のことは後回しで、優しく愛情をたくさん注いでくれる人だった。母が帰ってきたら、やりたいことを好きなだけやらせてあげたい」と思いを語った。

 北朝鮮で暮らした当時の心境については、「半分は日本に帰りたい、母に会いたいと思うのに、半分では(夫や娘たち)家族を守るという使命感があった」と説明。「ほかの被害者も、何らかの形で北朝鮮に留め置かれているのでは」と指摘する。北朝鮮の医療設備が十分でない点などを踏まえ、「まだ助けられる命がある。被害者と被害者家族が元気であるうちに解決してほしい」と願った。

 参加した狭山市在住の70代女性は、「初めて実際に当事者の方の話を聞いて、自分ごととして考えることが国を動かす力になると感じた。(北朝鮮での)苦しい生活状況を聞いて、とてもつらい」と話した。

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