埼玉新聞

 

横たわる餓死した動物、水を求める鳴き声…惨状を目撃した女医、福島支援続く 都会と現地で違い過ぎる情報

  • 原発事故後の福島について語る山中知彦さん(奥右)と小西由美子さん(同左)=10日午後、さいたま市浦和区

 さいたま市浦和区で開催された「福島から伝えるパネル・映像展」で、東京電力福島第1原発事故後、福島への支援を続けている認定NPO法人「未来といのち」代表で医師の小西由美子さんと新潟県立大学教授の山中知彦さん=さいたま市=のギャラリートークが行われた。2人は福島の映像を上映しながら、地元住民が原発事故で失った大切なものについて語った。

 小西さんは原発事故後、公衆衛生を支援するため、当時の20キロ圏内の警戒区域に入った。人は誰もおらず、動物だけがいる。餓死した動物が横たわり、水を求めて鳴き声を上げる乳牛や鶏。小西さんは撮影した映像の内容を紹介しながら、当時の様子を語った。「目撃してしまった」という小西さんは、取り残された犬や猫など動物たちに水をあげたいという気持ちで、東京から福島に通い始めた。「あまりにも都会と現地の情報が違い過ぎる。伝えなくてはいけない」とも思ったという。

 動物たちの命を助けたいと思う地元の人たちと交流が始まり、浪江町津島地区と飯舘村長泥地区の住民らとNPOを立ち上げた。原発事故が発生する前、地区には多様な文化、生活、歴史、地域コミュニティーが存在した。地元住民から「私たちが失ったものは家だけではない。失ったものを伝えてほしい」と言われ、記録を残す活動を始めた。19年に長泥地区の人を介して、山中さんと知り合い、助言を得て写真パネルなどを制作。今回、約30点が展示された。

 山中さんは原発避難を余儀なくされた長泥地区の区報の編集を支援し続けている。原発事故から10年の昨年、東京を含めさいたま市、横浜市など5都市で、写真パネル巡回展「帰還困難区域に生きる」を開催した。「福島のせいで、なぜ節電をしなくてはいけないのか」。福島の女性が東京を訪れた時に聞いた話が記憶に残っており、山中さんは「東京電力の消費地で写真パネル展を開催しないと意味がないと思った」と語った。

 主催した「グループTAKIZAKURA」代表の塚田悦子さんはギャラリートーク後、「11年が経過して、原発事故は悲しいぐらいに風化している。私たちの問題という意識を持って、発信を続けていきたい」と話していた。

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