殺される子どもら…キーウの母、電話中に爆音 川口在住の娘つらい胸中 遠足の思い出マリウポリ悲惨な今
川口市鳩ケ谷緑町のウクライナ料理店「ペルメニブティック」の店主でウクライナ人のリューダさん(45)は、ロシア軍のウクライナ侵攻による母国のニュースをつらい思いで見ている。74歳の母は東部の戦場から逃れ、現在、首都キーウにいる。「一刻も早く母を川口へ呼びたい」とリューダさんは不安を募らせている。
■母は戦場にいる
母は空襲の時にアパートの地下室に逃げ込むという。連日のようにテレビ電話で母と話す。電話で話すことが、母の生存確認になる。「ああ、今日も無事だった。ほっとする」とリューダさん。
母の身近なところで、子どもたちや女性たちが殺されている。テレビ電話の声に重なり爆弾の音が聞こえる。母は「怖い」と繰り返す。「私は遠い日本にいる。何もできない」と、つらい胸の内を明かした。
■希望
リューダさんは28年前、17歳の時に、憧れていた日本に来た。ソ連が崩壊し、ウクライナが独立して3年後だった。来日して2年後に結婚し、現在21歳の長男と19歳の長女を育てた。コロナ禍でも母の家賃のための仕送りを続けている。
ロシアのウクライナ侵攻で、日本政府が避難民支援方針を決め、続いて川口市が3月24日、ウクライナ避難民を対象に生活相談窓口開設を発表。4月14日、避難民に家電、家具付きの住宅を無償で用意すると発表。市の支援を知ったリューダさんは市の相談窓口となった川口駅前の市民パートナーステーションに電話をした。「母を日本に迎えたい」と相談。市は支援する方針だ。母は来日のため列車でポーランドに向かった。リューダさんに希望が戻った。
■マリウポリ
リューダさんのふるさとは、ロシア軍との戦場になったウクライナ東部の工業都市。小学校の遠足は片道2時間のバス旅行で海辺の街マリウポリへ行った。そこはいま悲惨な戦場だ。
「私の少女時代、マリウポリは欧米のロックやポップ音楽でいっぱいで、おしゃれで、ハイセンスな街。戦火で壊されているのはつらい」とリューダさんは一日も早く平和が訪れることを願っている。