埼玉新聞

 

「次は狭山」かなわず 狭山事件の石川一雄さん死去 無実を訴え続け47年 「(罪を)認めれば10年で出してやるという約束を信じてうその自白をした」と主張

  • 逮捕から60年となる日の集会で、再審開始を訴える石川一雄さん(左)と妻の早智子さん=2023年5月23日、東京都千代田区の日比谷公園

    逮捕から60年となる日の集会で、再審開始を訴える石川一雄さん(左)と妻の早智子さん=2023年5月23日、東京都千代田区の日比谷公園

  • 逮捕から60年となる日の集会で、再審開始を訴える石川一雄さん(左)と妻の早智子さん=2023年5月23日、東京都千代田区の日比谷公園

 1963年の狭山事件で再審請求をしていた石川一雄さんが11日、86歳で死去した。無実を訴えて77年に第1次再審請求から47年余り。無期懲役が確定して94年に仮釈放された後も、冤罪(えんざい)を訴えて闘ってきた。再審開始の司法判断が相次ぎ、期待が高まる中、「次は狭山」を合言葉に体調不良を押して支援者らと懸命に活動してきたが、思いは実現しなかった。

 石川さんは無期懲役の確定後の94年に仮出所。31年ぶりに狭山市内の自宅に戻った。記者会見で「人生の最も大切な時期を奪われた無念さは言葉で言い表すことはできない」とした上で、「(罪を)認めれば10年で出してやるという約束を信じてうその自白をした」と主張していた。

 無罪を訴え続けた石川さんは2023年10月に東京都千代田区で行われた集会で、体の衰えについて触れつつ「でも命はまだあります。無罪を勝ち取るまでは石川一雄は死にません」と宣言していた。

 24年10月に静岡県一家4人殺害事件で再審無罪が確定した袴田巌さん(89)とは約6年間、東京拘置所で共に過ごし、「イワちゃん」と愛称で呼ぶ旧知の仲。無罪判決の際には静岡県に向かい、「完全無罪判決だと確信していた。ゆっくりと休んでください」とコメントを発表した。「次は狭山という思い。袴田裁判と同じように再審開始、再審法改正の実現を目指す」と決意表明していた。

 狭山事件では、2度にわたる再審請求が退けられ、06年から始まった第3次再審請求は今年で19年を迎える。弁護団は有罪判決の有力証拠だった石川さんの自宅から発見された被害者の女子高校生のものとされた万年筆の鑑定を実施。被害者が当時使っていたインクと証拠の万年筆に入っていたインクの成分が異なることを蛍光エックス線分析に基づき示し、万年筆は被害者のものではないと主張した。

 犯人が被害者宅に届けた脅迫状の筆跡についても、コンピューターによる筆跡鑑定で科学的に石川さんのものとは異なるとした証拠を提出し、鑑定人の証人尋問を要求。今月上旬の三者協議後には、弁護団は「裁判所が(証人尋問を)実施するか否か判断する局面に来ている」との見解を示し、石川さんも「光が見えてきた」と期待を示していた。

 再審制度を巡っては、検察側に証拠の開示が義務付けられていないことや検察側の抗告により再審開始が先延ばしされるなどの問題点が指摘されている。狭山事件では、東京高検が逮捕当日の石川さんの上申書や取り調べの録音テープなどの証拠を断続的に開示してきたが一部にとどまり、石川さんや支援者らは制度改正も併せて訴えていた。

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