埼玉新聞

 

【楽しき波乱万丈 浜木綿子聞き書き#3】トップの相手役に抜てき 「聯隊の娘」入団4年目

  •  浜木綿子(左)と淀かほる(1957年頃撮影)

     浜木綿子(左)と淀かほる(1957年頃撮影)

  •  浜木綿子(左)と淀かほる(1957年頃撮影)
  • 浜木綿子=東京都千代田区の帝国劇場
  • 10回続きの(3)

 舞台、映像で約70年にわたり、主演し続けてきた俳優・浜木綿子。開場から舞台に立つ東京・日比谷の2代目帝国劇場は建て替えのため2月末に幕を閉じる。浜の航跡を人との出会いを軸にたどる。

   ×   ×  

 浜木綿子の入学当時、宝塚音楽学校は1年制であった。卒業し、1953年に第40期生として64人中3番の好成績で宝塚歌劇団に入団。56年4月には歌と演技を評価されて花組公演「聯隊の娘」でトップ男役・淀かほるの相手役マリーに抜てきされた。

 「すみれの花咲く頃」の作詞家でもある歌劇団屈指の劇作家・白井鉄造(1900~83年)の代表作の再演。白井から「今度『聯隊の娘』で主役にする。おまえはできるか」と尋ねられた。

 「『私が主役?』。信じられませんでしたが、とっさに『はい。頑張ります』と答えてしまいました。同期生の羨望の目が怖かったですが、無頓着な私はそれほど感じませんでした。最初の出に赤いブーツを履くのですが、ふくらはぎが太すぎて足が入らないんですよ。仕方なく赤いヒールで出ちゃいました。白井先生に『何履いているのだあ。ここはブーツだろ。早く履き直してきなさい!』と怒鳴られました」

 だが恥ずかしくて理由を口にできない。「必死で足を入れましたが、ファスナーにはさまれて血が出て痛く、歌どころではありません。気付かれないよう笑顔で歌うしかありませんでした。ふくらはぎは、きっとブーツの中で泣いていましたよ」

 結局、白井も事情を知り、ブーツは作り直してもらえた。「公演の最後の方には疲れからやせて前の細身のブーツが足に合うようになったのです。白井先生は音程、声の出し方、せりふ回し、立ち居振る舞いなど、とても厳しかったですが、おかげ様で忍耐力が養われました。感謝です!」(小玉祥子・演劇評論家)

※10回連載の3回目です。次回は1週間後にUPします

 【略歴】こだま・しょうこ 1960年、東京生まれ。全国紙演劇担当を経て演劇評論家に。主な著書に「艶やかに 尾上菊五郎聞き書き」「完本 中村吉右衛門」など。

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