結婚相手の存在言えず…息を引き取る直前の母に紹介、指で◎つくり他界 性的少数者「当たり前の幸せを」
社会が抱えるさまざまな課題の解決に向けて、政策論争が繰り広げられる参院選。若者、性的少数者、ひょう被害を受けた農家など、当事者たちは政治に何を託すのか。思いを聞いた。
■認められない同性婚 「当たり前の幸せ」を
「当たり前のことを言っているだけなんです」。埼玉県鶴ケ島市で会計事務所を営む川崎しょうさん(51)は真剣なまなざしで訴える。「私たちが結婚したからといって誰にも迷惑をかけてない。あるがままに生きたいのに」
2018年12月に米国で地元の男性と結婚し、帰国後の現在は同市の実家で同居している。しかしパートナーだと認められているのは米国にいる時だけ。日本では同性婚が認められていない上、同性カップルに対して結婚に相当する関係を証明する「パートナーシップ制度」を同市が定めておらず、法律上は“赤の他人”だ。
困ったのは同居していた母親の通院だった。新型コロナウイルス感染拡大の影響で病院への送迎などは家族以外できなくなったため、パートナーの男性は手伝うことが許されない。「普段、自宅では熱心に介護してくれる彼がおらず、1人で対応しなくてはならなかった。体力的にも精神的にも苦しかった」と当時を振り返る。
母親には20歳の時に自分の性的指向について打ち明けていた。母親はパートナーと法的に結婚ができないことを知りながらも、4人きょうだいの中で唯一結婚していなかった息子の将来を案じていた。「お母さんはこうやって家族に面倒を見てもらえたからいいけど、しょうに介護が必要になったらどうすればいいの?」
一般的ではない結婚の形を理解してくれるのか不安で、川崎さんは母親に米国で結婚したことを伝えられずにいた。打ち明けることができたのは母が息を引き取る直前の21年1月。自宅にある医療用レンタルベッドの脇にパートナーを連れて「家族ができたからもう心配しなくていいよ」と泣きながら話すと、母親はうなずきながら親指と人さし指で丸をつくるとそのまま息を引き取った。
川崎さんは鶴ケ島市にパートナーシップ制度の創設を働きかけたり、市の法律相談所にも助けを求めたものの、その声は届かなかった。「自分が存在していいのか分からなくなった」。状況は今も好転していない。
ただ、明るい兆しもある。県内で性的多様性の受容を推進する「レインボーさいたまの会」のメンバーとして活動する中で、ここ数年間は民間企業や学校から講演依頼などの問い合わせを多く受けるようになった。「性的少数者の問題を社会全体で考えようという機運が高まっている」と感じている。
「家族を構成することは人間が生きていく上で幸せを享受できる一つの方法。誰もが同じ立場のはず」と川崎さん。「政治の役割は未来への希望を照らすこと。希望を感じて生きることができる政治を実現してほしい」