埼玉新聞

 

【楽しき波乱万丈 浜木綿子聞き書き#5】菊田一夫が東宝に熱烈勧誘 宝塚在団のまま「がめつい奴」

  •  左から「がめつい奴」主演の三益愛子、菊田一夫、浜木綿子=1960年ごろ(東宝演劇部提供)

     左から「がめつい奴」主演の三益愛子、菊田一夫、浜木綿子=1960年ごろ(東宝演劇部提供)

  •  左から「がめつい奴」主演の三益愛子、菊田一夫、浜木綿子=1960年ごろ(東宝演劇部提供)
  • 浜木綿子=東京都千代田区の帝国劇場

 舞台、映像で約70年にわたり、主演し続けてきた俳優・浜木綿子。開場から舞台に立つ東京・日比谷の2代目帝国劇場は建て替えのため2月末に幕を閉じた。浜の航跡を人との出会いを軸にたどる。

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 宝塚歌劇団娘役として活躍する浜木綿子の演技を見初めたのが、ラジオドラマ「君の名は」で知られた劇作家で興行会社、東宝取締役の菊田一夫である。宝塚歌劇団顧問でもあり、作品も提供していた菊田は浜を東宝に招きたいと考え、自宅を頻繁に訪れて熱心に誘った。

 「夜討ち朝駆けでしたね。ある日の午前3時ごろ、両親が『菊田先生いらしたよ』と起こしに来ました。仕方なくお会いしましたら、『悪いようにしないから東宝に来てくれ』。寝ぼけて、つい『はい』と言っちゃったの」

 とは言うものの迷いがあり、菊田に「一度試させてください」と頼み、菊田作・演出で1959年10月から東京・芸術座でロングランしていた大ヒット作「がめつい奴」に在団のまま出演。大阪・釜ケ崎の簡易宿泊所に住み、けがをさせたと言いがかりをつけて金にする小山田絹役を60年2月に演じた。

 「稽古場で最初のせりふの『痛タタタ!』と口にした瞬間、先生は『ばかやろう』と首を振りながら笑っておっしゃいました。『この劇場は小さい。そんな大きな声でどなるんじゃない。下にはマイクがあるんだ』」

 それが浜が菊田に言われた最初の「ばかやろう」であった。「その後も度々『ばかやろう、ばかやろう』と。ついに『ばかやろう先生』とあだ名を付けちゃいました」

 菊田は身ぶり手ぶりで演技指導した。「体で見せてくださるので役作りが楽なんですよ。それも誰がやるのより面白くてかわいらしく、お上手なの。必死でまねしましたね」

 61年3月にも菊田作・演出の芸術座公演「がしんたれ」に出演し、東宝移籍の決意を固めた。(小玉祥子・演劇評論家)

 【略歴】こだま・しょうこ 1960年、東京生まれ。全国紙演劇担当を経て演劇評論家に。主な著書に「艶やかに 尾上菊五郎聞き書き」「完本 中村吉右衛門」など。

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