埼玉新聞

 

77年間の平和は過去の犠牲の上に…県内遺族「語り継ぐ」決意新たに 戦没者追悼式に埼玉から18人参加

  • 全国戦没者追悼式で黙とうする県内参列者ら=15日正午ごろ、東京都千代田区の日本武道館

 終戦から77年の15日、東京・千代田区の日本武道館で全国戦没者追悼式が行われた。ロシアのウクライナ侵攻に、台湾を巡る米中対立。戦火の危機は現実味を増して迫る。「二度と悲惨な戦争を経験したくない」「後世のため平和な日本を維持したい」。参列した県内の遺族らは改めて不戦を誓い、鎮魂の祈りをささげた。新型コロナウイルス禍で追悼の場が制限される中、次世代も不戦の誓いを新たにした。

 昨年に引き続き、新型コロナウイルスの感染状況などから規模を縮小して行われた式典。県内からは戦没者の子孫ら18人が参加した。内訳は遺児が15人、兄弟姉妹1人、ひ孫1人、おい、めいが1人。平均年齢は昨年より0・7歳上がり76・2歳だった。代表して加須市から同市遺族会の山本哲也さん(82)が献花台に花を添えた。

 山本さんの父・敏雄さん=当時(40)=は1942年7月5日にガダルカナル島沖で貨物船に乗っているところを米軍の砲撃に遭い亡くなった。その時山本さんは2歳で当時の記憶はないが、後から32歳だった母・トヨノさんはしばらく夫の死を受け入れられない様子で自殺も考えたと聞いた。それでも母は山本さんと姉2人の3人の子どものために立ち直り、家業である農業のほか、地元の農協職員としても働き女手一つで懸命に育てたという。家計は苦しく「どん底だった」と振り返ったが、親族らの支援によって何とか生活することができた。

 2017年11月、日本遺族会主催の慰霊巡拝でガダルカナル島を訪れた。同島北東部のエスぺランス岬に立つと、目の前には父が亡くなった海が飛び込んできた。その瞬間「万感胸に迫って言葉が出ないとはこのことか」と、その場に立ったまま涙を流した。「周りには両親がいてうらやんだこともあった。父がいたらどんな風に暮らしただろうか」と思いをはせた。

 県代表として献花をする今年は「特別な年になった」と山本さん。「77年間の平和は過去の犠牲の上に成り立っている」とした上で「今、ウクライナなどでは悲惨な戦争も起きている。一日でも早く平和を取り戻してもらえるよう、私たちも国内で起きた戦争を語り継ぎたい」と力を込めた。

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