熊谷うちわ祭、20日から 関東一の祇園 血が騒ぎ出す大総代 初叩き合いは写真映え意識
絢爛(けんらん)豪華な12台の山車・屋台が熊谷市の中心市街地を練り歩く「熊谷うちわ祭」が20~22日に開かれる。「関東一の祇園」と称される祭りを取り仕切る今年の年番は弥生町区。その最高責任者を務める栗原弘さん(56)は郵便局に勤務する、初めての"サラリーマン大総代"だ。改元を迎えた令和元年、さらにラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会の地元開催を控え、「特別な年の祭りを大勢の人に楽しんでもらいたい」と意気込んでいる。
幼い頃からうちわ祭が好きでよく見学していた。小学5年で念願かない、弥生町区のおはやし会に入会。「祭りの特徴である大きな鉦(かね)の音を体感した。屋台のいすが左右に揺れるのも心地良かった」。中学、高校は運動部の活動に専念して離れたものの、社会人になって祭り好きの血が騒ぎ出す。
入社した秩父鉄道で秩父夜祭に関わるうち、「熊谷のうちわ祭も、負けないくらい盛り上げたい」と思うように。ただ、当時の部署はうちわ祭と繁忙期が重なっていた。そこで地元に戻って本格的に打ち込むため、28歳で郵便局に転職した。
うちわ祭は江戸時代から続く八坂神社の大祭。山車・屋台を出す12町区のうち、8カ町が毎年持ち回りで年番を担う。熊谷は県北を代表する商都で、祭りを統括する大総代は大店の主人である旦那衆が務めるのが慣わし。前例のない"サラリーマン大総代"が誕生した背景には、地元の深刻な事情がある。
弥生町区は12町区の中で3番目に規模が小さい。世帯数は200を切り、商売人も減って空洞化が進んでいる。大総代となる人物が見つからず、白羽の矢が立ったのが「3人の子どもたちに祭りにちなんだ名前を付ける」ほどのお祭り好きだった。
栗原さんは、うちわ祭の実働部隊である熊谷祇園会で20年活動し、支部長も7年務めた。細部まで祭りを知り尽くしているが、先代が大総代という家系ではない。「職場の理解と協力を得ながら、限られたスタッフで何とかやっている」と、関連行事や寄付集めに奔走する。
今年は初めて尽くし。令和元年の新時代を祝う「弓張り提灯(ちょうちん)」を山車・屋台に掲げる。熊谷駅前で20日夜に行われる初叩き合いでは、写真映えするよう、W杯仕様にリニューアルされた駅舎前の東側に低い屋台5台、西側に高い山車7台を配置。9月に開幕するW杯でも、熊谷の試合日に合わせて市内4カ所に8台の山車・屋台が繰り出し、おはやしを披露する。
キャッチフレーズは「神人和楽(しんじんわらく)」。神様も人間も一緒に祭りを楽しもうという意味だ。栗原さんは「特別な年に『来て良かった』と思える祭りにしたい。巡行祭など山車・屋台を引ける場面もあるので、この機会にぜひ参加してもらえたら」と呼び掛けている。