「思いは一緒」継いでいく 「最後」の元救護員ら死去、日赤埼玉県支部が追悼式 現役看護学生も決意新たに
埼玉県さいたま市浦和区の日本赤十字社県支部(支部長・大野元裕知事)で25日、日中戦争と第2次世界大戦で殉職した同支部派遣の従軍看護師ら救護員32人の追悼式が開催された。日赤関係者や遺族らが参列し、黙とうをささげ、慰霊碑に献花して平和を願った。存命だった元救護員の女性2人が、この1年で死去した。同支部は戦争の悲惨さを後世に伝え、平和の尊さを発信していきたいとしている。
昨年8月に94歳で死去した桶川市の木村美喜さんは1944年7月、16歳で召集された。フィリピンのマニラ、ルソン島などの激戦地に従軍。傷病兵らの救護を担いながら、過酷な体験を経て45年12月に復員した。爆撃による戦死や感染症による戦病死、餓死など、多くの同僚が次々と死んでいった。木村さんの著書によると、同じ班の26人のうち、生還できたのは10人だけだった。深谷市出身の川田春枝さんは今年2月、96歳で死去した。同支部の把握している救護員経験者で、最後の存命者という。
大野知事は追悼の言葉で、木村さんの死去に触れ、「熱心に戦争を語り継ぐ活動をされていただけに残念でなりません。心からご冥福をお祈り申し上げます」と哀悼の意を示した。「二度と従軍看護婦のいらないように世界が平和でありますように願っております」と、木村さんの著書から引用した上で、「安心安全で平和な埼玉を築くために、全力を尽くすことを固くお誓いいたします」と述べた。
日赤看護大学さいたま看護学部3年の88人が、オンラインで追悼式に参加。式典の補助を担当した福山桃香さん(20)は「救護員は戦時下で、自分のことを犠牲にしても看護に当たったと聞いた。私たちも誰かのためになる看護師になりたい。思いは一緒で受け継いでいきたい」。遺族の案内を担当した長島綾香さん(20)は、親の代からの参列者や体調が優れない中で参列した遺族と会話をしたという。「伝えていくことがすごく大事だと思った。今回のことを忘れずに、看護の勉強をしたい」と話していた。
同支部内ではこの日、血痕の付着した日赤救護員腕章や認識票、召集状が入っていた封筒、お守り袋など、木村さんの寄贈品を展示した。追悼式に参加した看護学生は展示品のほか、木村さんらの証言動画も観賞した。