最後は明るく…地域紙「文化新聞」が休刊 飯能・日高の日々を伝え73年、2万1063号「地域に支えられた」
埼玉県飯能、日高両市をエリアに発行されてきた地域紙「文化新聞」が、6月30日付で休刊した。発行元の「ブラウズ」(本社・飯能市柳町)がさいたま地裁川越支部から破産開始決定を受けたことに伴い、創刊から73年で歩みを止めることになった。関係者は「地域に支えられたことを感じる。読者には申し訳ない気持ちだ」としている。
文化新聞は1950年2月に創刊し、ブランケット判2ページ。日曜日と月曜日を除いて週5日発行し両市の催しや市議会、読者の声などの記事を掲載。現在は藤野数広編集長(50)を含め記者4人が、取材や編集に当たってきた。
2万1063号の紙齢が刻まれた30日付の紙面。飯能青年会議所の創立50周年記念式典をトップニュースに、福祉スポーツ大会の開催や読者の投稿などを掲載した。
普段の紙面と異なるのは、2ページ下段にレイアウトされた「編集部より」という一文だ。休刊の経緯と共に、読者への謝意がつづられている。「休刊」という表現には、復刊への「わずかばかりの希望」を残した、とした。
「長年の読者に感謝すると共に飯能、日高の一層の発展を込めて、明るい話題を掲載して締めくくろうと割り付けた」。藤野編集長は30日、埼玉新聞の取材に語った。
「記者が客観的な視点に立ちながら、地元の住民と同じ立場で、愛着を持って取材する」。そう念頭に置いてきた。
1999年の夏、聖望学園高校(飯能市)が全国高校野球選手権大会に初出場した際は、バスに乗って甲子園を目指した。藤野編集長は「県大会の優勝から、かつてない盛り上がりだった」と振り返る。
2011年3月の東日本大震災では、市民への生活面の影響を中心に追った。「今後どうなるのか不安を感じながら取材を続けた。市民は、戸惑いながらも被災地を応援しようと物資を集めるなどした。飯能と日高の義理人情の厚さを感じた」と語る。
「日々の歴史を刻んでもらっているという意味で、休刊は残念だ」。行政の関係者からは、そんな声も寄せられたという。藤野編集長は「コロナ禍が明けて祭りや行事の再開に伴い、これから盛り返せるという気持ちだった。悔しさはある」と話した。
■資金繰りが悪化、6月20日に破産開始決定
東京商工リサーチ埼玉支店の発表によると、「文化新聞」を発行するブラウズが6月20日、さいたま地裁川越支部から破産開始決定を受けた。負債総額は約2億700万円。
文化新聞は1950年2月に週1日のタブロイド判半切で創刊。その後、地元に密着した話題を中心にブランケット判2ページを週5日発行し、公称部数は約8000部。
2021年3月期には売上高約1億8000万円だったが、20年3月に新聞事業を継承した文化新聞社の不良債権処理もあり、当期純損失約6000万円を計上した。23年3月から5月にかけて経営者が投資詐欺に遭い、多額の運転資金を流用したことで資金繰りが悪化。事業譲渡先などが見つからず、6月30日付で休刊した。