心はいつもバリアフリー…「全盲の教師」新井淑則さん死去 教員仲間ら、遺志継ぎ交流広場「リルの家」開設へ
「全盲の教師」として知られた新井淑則さんが7月5日、がんのため61歳で亡くなった。網膜剥離で両目の視力を失った後も埼玉県秩父地域で教壇に立ち続け、生徒たちに「障害を抱えていても、当たり前の生活ができる」ことを教えた。昨年3月、母校の皆野中学校で定年退職。教員生活を支えてくれた仲間と盲導犬のリル(ラブラドルレトリバー、雌、11歳)に恩返しをしようと、交流広場「リルの家」を開設する予定だった。地元住民らは早すぎる死を悼み、淑則さんの遺志を継ぎ準備を進めている。
淑則さんは皆野町出身。1984年に中央大学卒業後、新任の国語教師として東秩父中学校に赴任。秩父第一中学校から横瀬中学校に異動した28歳の時に右目の視力を失い、県立秩父特別支援学校勤務中の34歳で左目も失明した。家族や教員仲間らに励まされながらリハビリを行い、発症から3年後に職場復帰。2008年に長瀞中学校に転任し、14年には全盲で中学校の担任を持つ全国初の教師となった。自身の体験談をつづった著書も出版。「心はいつもバリアフリー」と題した講演会も定期的に開催した。
皆野中や長瀞中で教員仲間だった、皆野町教育委員会の新井孝彦教育長(63)は「みんなの顔が見えていないはずなのに、生徒一人一人の気持ちを当たり前のように理解していた」としのぶ。淑則さんはボイスレコーダーで生徒一人一人の声を録音し、声質で名前を覚える努力を続けていた。
長瀞中時代に同じ国語教師だった、皆野町の落合賢一さん(69)は「淑則さんのおかげで、正直で真っすぐな心を持つ生徒が増えた」と涙ながらに語る。当時、落合さんが目を通した生徒の作文には「障害を抱えていても、普通の人と同じ行動ができることを知った」「先生みたいに強く生きていきたい」など、淑則さんを慕う言葉が多くつづられていた。
約8年間、淑則さんに寄り添ったリルは現在、盲導犬を引退し、落合さんの元で暮らしている。落合さんはリルの頭を優しくなでながら、「おそらく、まだ主人の死を受け入れていない。また会える日を楽しみにしていると思う」と話す。
落合さんとリルが最後に淑則さんと交流したのは6月26日。「リルの家」の開設準備を進めるため、淑則さんの自宅に同級生らが集まり、打ち合わせを行った。淑則さんは教師引退後、体調不良で入退院を繰り返していたが、「打ち合わせの時は元気いっぱいで張り切っていた。まさか、この日が最後になるなんて思わなかった」と落合さん。リルも盲導犬時代のように、淑則さんの横にずっと寄り添っていた。
「リルの家」は、淑則さんの父が使用していた木造平屋の旧アトリエをリフォームし、憩いの場として町民らに提供される予定だ。落合さんは「開設時期はまだ未定だが、淑則さんの同級生を中心に、少しずつ準備している。皆野中の卒業生らも備品を寄贈してくれたので、みんなで淑則さんの気持ちに応えたい」と言葉に力を込めた。