叫んだ母、飛び起き…窓が粉々に 震えた空襲、焼けた人の行列…胸だらりと出た女性、子と手つなぎ放心状態
2023/08/13/13:35
「戦争は国のためではなく私欲。語り継いでいくことで世の中が変わる一つの転機になれば」。終戦前日の1945年8月14日夜、米軍機の焼夷(しょうい)弾が埼玉の北都に降り注いだ熊谷空襲。中心市街地の3分の2を焼き、266人が犠牲となった。千葉県・市川から熊谷に疎開し、当時10歳だった掘越美恵子さん(88)=羽生市本川俣=にとって、東京大空襲に続き2度目の空襲経験だった。悲惨な体験は78年が経過した今も胸に刻み込まれている。