出征前日、忘れ得ぬ思い出…83歳「愛情、生きていく強さもらった」 戦争二度と…埼玉の遺族ら鎮魂の祈り
終戦から78年を迎えた15日、全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。「戦争は二度と起こしてはいけない」「平和な時代を後世に」。参列した埼玉県内の遺族は今も戦禍が絶えない世界を憂い、鎮魂の祈りをささげた。
式典は昨年に引き続き、新型コロナウイルスの感染状況などから規模を縮小して開催。県福祉部社会福祉課によると、県内からは51人が参列した。年代別の参列者数は80代が25人、70代が13人、60代が5人、50代が7人、40代が1人。
「子どもの頃、父の自転車の後ろに乗せてもらった思い出がよみがえった」。県内の遺族を代表して献花した小川町の武藤義旦さん(89)。手を合わせ目を閉じると、1944年9月9日、輸送船でフィリピンのマニラに向かう途中、命を落とした父利平さんの姿が浮かんだ。
武藤さんは当時、小学校5年生。「国のために尽くす。戦争に行っても生きて帰ってこれたらいいな」。出征前、そう語った利平さんの願いはかなわなかった。一家の大黒柱を亡くし、4人兄弟の長男だった武藤さんは弟たちの将来を案じ、責任を感じながら必死に生きた。
武藤さんは「戦争がないのが一番の望み。人間もけんかしたり、意見が対立したりするが、話し合いで解決することが大事。国家間においても同じことが言える」と武力による解決を否定し、「戦争を知らない子どもたちも多いが、これから平和な時代を生きて、二度と戦争が起こらないように願っている」と語った。
さいたま市浦和区の稲垣婦美江さん(83)は「父親に対する一つの気持ちの区切りとして参列した」と話す。4歳のころ、獣医で職業軍人だった父松雄さんをフィリピンのリザール州マリキナ高地で亡くした。母親のおなかの中にいた弟の顔を知らないまま、帰らぬ人となった。
松雄さんは出征前日、横須賀で赤い靴を買ってくれて抱っこしてくれた。今も色あせることのない大切な思い出だ。稲垣さんは「4年間という短い期間だったけれど、たくさんの愛情をもらった。生きていくための何にも負けない強さをもらった」と感謝し、「戦争は悲しい。起こしてはいけない」と語った。