「30年物」を皆で…どん底時代、周囲の大反対越えて“折り返し地点”到達 ウイスキー「イチローズモルト」
「イチローズモルト 秩父ザ・ファースト・テン」-。2020年11月、10年以上熟成した原酒で造るベンチャーウイスキー初の10年物ウイスキーが完成した。バーボン樽(たる)熟成の原酒を主体に、ミズナラの樽やシェリー樽で熟成したモルト、さらに秩父産の大麦を使った原酒も味に深みを加える。秩父蒸溜所で使われてきた樽の個性を組み合わせ、複雑なフレーバーと味わいを閉じ込めた。
ラベルへ年数表記ができることは造り手の一つの目標である。社長でマスターブレンダーの肥土伊知郎(あくといちろう)(58)は「最低限の設備の小さな蒸留所から始まったが、これでようやく本当のウイスキーメーカーの仲間入りができた」と喜びをかみしめる。
「自分の存在を消したい」ほどのどん底の時代があった。
大手酒類メーカーを経て、1994年に父親が社長を務める東亜酒造(埼玉県羽生市)に入社するが経営は悪化。2000年に民事再生法を申請し、関西の企業に営業譲渡する。新しい経営陣からは、採算の取れないウイスキー原酒の廃棄を突き付けられた。
「祖父の代から受け継がれてきたわが子同然の原酒は捨てられない」。福島県の酒造会社に原酒を預かってもらい、04年にベンチャーウイスキーを設立。自社ウイスキーをバーに売り込みながら、延べ2千店で約6千杯を飲み研究した。
05年に「イチローズモルト1988 キング・オブ・ダイヤモンズ」が英国ウイスキーマガジン誌のジャパニーズウイスキー部門で最高得点を獲得し、世界を席巻した。
07年に秩父蒸溜所を設立し、19年には昔ながらの直火(じかび)蒸留を行う第2蒸溜所も稼働。本場の蒸留所でも消えつつある手作業で製麦するフロアモルティングや樽作りなど、効率や合理性とは一線を画す伝統的な造りにこだわり続ける。
「人の手による微妙な不均一さがむしろいい。さまざまな要素の混ざり合ったものが幅広い味わいにつながるというのが持論。いや、とにかく、ウイスキーに関わることなら何でもやってみたいんです」
約3万樽まで収められるよう第7貯蔵庫まで増設したが、人気と需要に追い付かない。
現在、北海道苫小牧市で、ブレンデッドウイスキーに主に使われる穀類が主原料のグレーンウイスキーの蒸留所を建設中だ。大手メーカー以外では初の本格グレーンウイスキー製造への挑戦。その行方を業界が固唾(かたず)をのんで見つめている。
「会社設立時も、秩父に蒸留所をつくる時も皆から大反対された。今回も同じ」と笑うが、「ゼロイチの挑戦をせざるを得ない時がある。それが今。貯蔵庫に15年物の原酒が眠り、30年物を皆で酌み交わしたいという夢の折り返し地点まできた。集大成に向けた一つの始まりなんです」。(敬称略)
■国産ウイスキー好評
ジャパニーズウイスキーは世界のウイスキー市場で高い評価を得て、品評会でも最高賞を次々と獲得している。
ベンチャー社も世界的な品評会のワールドウイスキーアワード(WWA)で2017年から6回、世界最高賞を獲得。05年の「キング・オブ・ダイヤモンズ」を含む全54種類の「カードシリーズ」が19年に香港のオークションで約1億円で落札され、話題になった。
ベンチャーウイスキーが会社を設立した2000年代初めごろは国産ウイスキーが売れない「冬の時代」だったが、当時国内の蒸留所としては35年ぶりにウイスキー免許を交付され、クラフト蒸留所の草分けとなった。
後に続くように新規参入が相次ぎ、ウイスキー文化研究所が運営するJWIC(ジャパニーズウイスキーインフォメーションセンター)によると現在、準備中のものも含め108蒸留所、県内には4蒸留所がある。