緊急停止…「能登半島地震」の瞬間、記者いた特急激しく揺れる ずっと縦横にギシギシ、ラジオから女性アナウンサーの緊迫した声 運行困難で乗客ら誘導、カイロ配る近所の人の温かさ 家はたんすなど倒れ「経験ない揺れ」
寒さの中で着の身着のまま避難した住民が身を寄せ合い、互いの家族の安否を気遣った。元日の北陸地方を最大震度7の強い揺れが直撃した。石川県を中心に家屋が倒壊し、命からがら逃げ出した人も。大規模な火災が起き、断水や停電も相次いだ。「知人と連絡が取れない」「こんなお正月になるなんて」。大津波警報も出て、住民らは不安そうに海を見つめた。
■埼玉新聞記者、帰省中に被災
石川県七尾市の実家に帰省して年末を過ごした。暖冬のため雪は降らず、穏やかな正月を迎えた。埼玉県に戻るため、1日午後3時過ぎ、七尾駅から特急電車に乗車して、金沢駅に向かった。午後4時過ぎ、最初の緊急地震速報。大きな揺れを感じたものの、電車は止まらず進行を続けた。家族にメールをすると、「大丈夫」と返信を受けた。
安心した直後、再び緊急地震速報。ギシギシ、ギシギシ。電車が上下左右に激しく揺れる。数十秒だろうか、とてもとても長く感じた。電車が緊急停止する。2011年3月の東日本大震災では、旅行先の青森市内で、バス乗車中に被災した。当時の恐怖を思い出した。家族から「けがはない」とメールがあり、気持ちが落ち着いた。
NHKラジオから、女性アナウンサーが緊迫した声で、大津波警報を伝えている。電車の停止場所が海岸からどれくらいの距離か分からない。少し時間が経過して、「津波の来る場所ではありません」と電車内にアナウンスされたが、東日本大震災を考えると安心はできなかった。
大きな余震が繰り返し発生し、電車の運行は困難と説明された。地震発生から約3時間後、約500メートル先にある石川県かほく市の避難所に移動することになった。乗客が順番に、はしごを利用して降車した。電車は踏切内に止まっていた。周囲の住宅は明かりがつき、道路や塀に大きな被害は見られなかった。誘導されて歩いていると、近所の女性が複数の使い捨てカイロを手渡していた。JRの人と一緒に、思わず「ありがとうございます」と伝えた。
避難所には近所の住民を含め100人以上が集まっていた。テレビでニュースが流れ、甚大な被害が分かってきた。温かいお茶のほか、災害用の水や乾パン、毛布が支給された。停電や断水は起きておらず、眠りにつくことができた。2日午前10時過ぎ、手配されたバスで、金沢駅に向かった。
実家のある七尾市は最大震度6強を観測した。80代の両親は無事でけがはなかった。たんすなどが倒れる被害が出たという。能登地方は07年3月以来、大きな地震が頻発している。電話に出た両親は「これまで経験したことがない揺れだった」と話した。