埼玉に全国トップ級の街、ホワイトアウトのような嵐も 「JR高崎線を境界に異なる土」が広がる深谷、有数のネギ産地 じつは“幻の深谷ねぎ”が存在、どんな味 おいしい食べ方「カルソッツ」料理人が悔しがる理由
雲一つない青空の先に上州の山々。震え上がるような寒風に負けず、無数のネギが天に向かって伸びている。寒さが厳しくなる大寒のころ、深谷ねぎは甘みを増す。
「深谷は高崎線の線路を挟んで土質が全然違う」と、深谷市のネギ農家、吉岡和馬(24)は話す。北側は利根川の氾濫で運ばれた肥沃(ひよく)な粘土質の土、それに対し南側はさらさらとした土。水はけが良く、水気に弱いネギの生育に適している。
吉岡のネギ畑があるのは主に南側。「強い風が吹くと、砂嵐で何も見えない。ホワイトアウトですよ」。寒い上に全身土まみれ。人間にはつらいが、ネギにとってはこれが好ましい環境なのだ。
「深谷ねぎ」は品種名ではない。深谷市とその周辺で生産されるネギの総称だ。吉岡の畑でも5、6品種のネギを生産しているが、そのうちの一つが“幻の深谷ねぎ”と呼ばれる「農研2号」だ。
1958年に同市八基(やつもと)地区の生産者グループの八基農業研究会が生み出したネギで、柔らかく、熱を加えるととろっとして甘くなるのが特徴。このネギから西田ネギなどの品種も生まれ、深谷ねぎの評価を高めていった。しかし収量が少なく、病気に弱い。分けつして太さがそろわないこともあり、姿を消していった。
この農研2号に注目したのが和馬の父の信一(65)だった。太くて見栄えの良い品種の方が市場価値が高いことに反発があった。「やっぱり味じゃないか」。農研2号が自分と同じ年に生まれたことにも縁を感じていた。
農研2号の種を唯一扱っていた市内の種苗会社が廃業すると、10年ほど前からネギ農家の仲間たちと種の採取も行っている。畑から選抜した農研2号を、他の品種と交雑しないようにハウスに移し替え、花が咲いたらミツバチを放して交配させる。できた種を仲間たちで分け合い、各自の畑で生産している。
和馬はそんな父の背中を見て育った。小学校の卒業式、卒業生が一人一人壇上で将来の夢を語った。同級生たちがサッカー選手や先生になりたいと発表する中で、和馬だけが「父の後を継いで農家になります」。それを聞いた信一は思わず涙を流したという。
高校卒業後、種苗会社や県農業大学校で農業を学び、家業に入った。父と“同い年”の農研2号。自分も守り継げば、この品種が100年は残ることになる。「他のネギと比べて甘さが違う。自分も残していくべきだと思っている」。思いも次代へとつなぐ。(敬称略)
■「1本丸焼き」も人気
農林水産省の2021年市町村別農業産出額(推計)によると、深谷市のネギの産出額は60億2千万円。全国トップクラスのネギの産地だが、農研2号の生産者は埼玉産直センター(同市町田)のネギ部会の6、7軒のみ。購入できる場所も産直センターなどに限られ、入手困難という意味でも“幻のネギ”だ。
「深谷ねぎの魅力を広く知ってもらおう」と、農家や飲食店が毎年1月最終日曜日に「深谷ねぎまつり」を開催、今年も大盛況だった。現在は市内の飲食店13店舗で「深谷カルソッツ」を2月29日まで展開中。カルソッツとはスペイン流のネギ料理で、ネギを丸ごと1本焼いてオリジナルソースを付けて食べる。
焦げた表皮をむいて、柔らかいネギにかじり付くと甘みが口に広がる。市内でイタリア料理店パンチャ・ピエーナを経営する栗原統(おさむ)(50)は「作り方はシンプルなのに、どんなネギ料理よりもおいしいのが悔しい」と苦笑する。