苦渋の決断…埼玉で何百年も続く「天気占い」休止や廃止へ 若者流出、高齢化、どうあがいても復活できない 「休止」だと再開を期待してしまうので「廃止」した街も 占いの協力者、気軽に地元以外から集められない理由
埼玉県小鹿野町で江戸時代から続くとされる2月の伝統行事「出原の天気占い」(県指定無形民俗文化財)と「伊豆沢の天気占い」(県選択無形民俗文化財)が、後継者不足を理由に今年から「休廃止」になることが分かった。共にコロナ禍の影響で2021年以降、中止が続いていた。深刻な過疎化に悩まされている地域の伝統行事で、関係者は「無理に再開しても、何年も持たないのは目に見えている」などと苦しい胸の内を明かした。
■若者の流出
両天気占いは、弓矢を使って的に当たった状態でその年の吉凶や農作物の豊凶作を占う矢的(やまと)行事。県東部などでは「オビシャ(御奉射)」などの名で伝わり、各地で継承されている。
出原は、毎年2月25日に小鹿野町両神薄の諏訪神社で実施。市街地から約10キロ離れた谷あいに位置する出原地区の住民のうち、男性6人が矢的行事に参加し、計24本の矢を放つ。
同保存会長の黒沢富夫さん(75)によると、出原地区の2月現在の住民はわずか4世帯5人。「前回(20年)実施した際は何とか6人そろえたが、中止期間に亡くなった方などもいて、今回参加できるのは3人だけ」と説明する。
林業が盛んだった1960年代は約30世帯が暮らしたが、若者の流出が続いて後継者が激減。県の無形民俗文化財に指定された96年に保存会を設置し、黒沢さんは3代目を担っているが、「まさかこんなに短期間で担い手が減るとは、先代たちは想像していなかったと思う」と切実に語る。
弓を射る人はその年の「神」とあがめる風習があるため、気軽に地域外から協力者を集められない。毎年1週間かけて作り替えている、桃の枝に麻縄を張った弓は、諏訪神社が同地に移った約400年前から出原住民のみで手がけてきた。
黒沢さんは「町の担当者には休止という形で報告したが、今後、住民が増えることは考えられず、どうあがいても復活できない」と話す。毎回行事後に配る、コメと大豆の粉で作った「しとぎ餅」を約40年作り続けてきた、黒沢さんの妻まり子さん(75)は「地域外のさまざまな人と交流できたので、終わるのは寂しいが、仕方がないこと」としみじみ語った。
■進む高齢化
伊豆沢の天気占いは、毎年2月11日に同町伊豆沢の諏訪神社(文殊様)で実施。学問・知恵を授けるという文殊菩薩の縁日と同時開催し、矢的行事は同地区出身の「宮元」と呼ばれる三家(塩川、荻原、黒沢)が代々務めてきた。
保存会長の塩川茂明さん(70)は「『休止』だと再開の期待を持たせてしまうので、今年から祭典自体を『廃止』にした」と明かす。氏子の減少と高齢化が一番の理由。伊豆沢地区には現在約25世帯が暮らすが、祭典に関わる氏子は20人ほどで、全員が65歳以上。「祭りは相当のエネルギーとお金が必要で、みんなの体が持たなくなっている。お堂や坐像(ざぞう)の老朽化も深刻」
毎年1月上旬に耕地の総代が集い、その年の開催可否を判断している。21年以降は「コロナで中止」としてきたが、今年は「取りやめ」にし、関係者に書面通知した。感染状況が少しずつ収まりを見せ、「もうコロナ禍を理由にできない」と、全会一致で苦渋の決断をした。
塩川さんは「今年も再開を期待し、(11日の)縁日には地域外から50人ほどの見物客が集まってくれていた。何百年も続く伝統行事をなくすのは心苦しいが、人口減少の加速には対応できない」と話していた。