戦前からのトマトの産地、“農家メシ”がB級グルメに 懐かしく新しいご当地グルメ「北本トマトカレー」
戦前からトマトの産地として知られる埼玉県北本市のご当地グルメ、北本トマトカレー。その原点は、ある農家の食卓にあった。
「北本トマトカレーの会」の副会長を務める加藤浩(55)の家は北本で代々農業を営む。トマトは約60年前、父の代から生産を始めた。当時は市場出荷が主で、少しでも傷があると自家消費に回った。
「収穫期になると、カットしたトマトがどーんとお皿に乗って出てきた」。加藤は子どもの頃の食卓を思い出す。台所には大鍋でコトコト煮込まれたトマトスープ。時にはカレー粉を使ってカレーにしたり、ひき肉を入れてミートソースにしたり。これがトマト農家の農家メシだった。
話が動き出すのは2011年。市制40周年に合わせて同市で「埼玉B級ご当地グルメ王決定戦」(県主催)が開催されることに。そこに参戦する北本代表のグルメを開発するため、トマトを使ったレシピコンテストが行われた。
加藤も参加することになり、思案の結果、子どもの頃に食べたトマトのカレーを思い出す。小学校で給食の調理員をしていた知人の協力を得て、試作に取り組んだ。
トマトを入れて煮込んだルー、すりおろしたトマトを加えて炊いたライス、トッピングはミニトマトにブタバラ肉を巻いて揚げたカツ。トマトのうま味と酸味が醸し出す豊かな味わい。それは「懐かしく優しい味」だった。
北本代表に選ばれ、同決定戦で初優勝。その後も「土浦カレーフェスティバル」(茨城県)と「全国ご当地カレーグランプリ よこすか」(神奈川県)で、それぞれ2回優勝。その名は県内外に知られるようになった。
北本は戦後に全国各地から移り住んできた新住民が多い街。トマトカレーは新たな“ふるさとの味”になるのではないか。
市内外でトマトカレーを提供する飲食店は年々増え、現在は14店舗になった。また、市内の小中学校全校では12年から給食でトマトカレーを提供している。「子どもたちが大人になったら、『北本だったらトマトカレーだよね』と友達と食べに来てほしい」と加藤は期待する。
一方、トマトカレーの会の事務局がある北本市観光協会事務局長の小松政毅(47)は「まだ家庭でトマトカレーを作るところまでいっていない」と、“道半ば”を指摘する。「ご当地グルメを作るのがゴールではなく、普及させるのがゴール。そのための活動を続けていきたい」。(敬称略)
■大正時代から栽培
北本市内のトマト生産の歴史は戦前までさかのぼる。米国へ輸出する種を取るため、1925(大正14)年に石戸地区で植え付けた記録がある。当時は日本でトマトを食べる習慣はあまりなく、種を採取後、果肉は捨てていた。
しかし、種の輸出事業は失敗し、果肉を活用してトマトクリーム(現在のトマトペーストのようなもの)を生産するように。都内のホテルで使われるなど人気となり、北本のトマトは「石戸トマト」のブランドで広く知れわたった。しかし、戦争の影響で加工工場は閉鎖され、北本のトマト生産は一時途絶えた。
戦後、トマト生産は再開され、トマト大福などの関連商品も開発された。2011年に北本トマトカレーが「第9回埼玉B級グルメご当地グルメ王決定戦」で優勝すると、翌年に市民有志や飲食店などで「北本トマトカレーの会」(落合真一会長)が発足。県内外のグルメイベントなどに参加している。
トマトカレーの提供店舗は、うどん店やインド料理店など14店舗。3カ条((1)ライスをトマトで赤くする、(2)ルーにトマトを使用、(3)トッピングにトマトを使用)を守っていれば、アレンジは可能。多様なトマトカレーがあり、毎年夏ごろに各店を巡るスタンプラリーも行われている。