倒れた中学生、天国へ…一緒に卒業すると信じた同級生ら叶わず 語り継がれ30年、集まった同級生が今
埼玉県さいたま市南区の市立大谷場中学校(舘岡靖哲校長)の体育館裏でひっそりとつぼみを付けたモクレンの木に今月中旬、「きみりんの木」と書かれた木札が掲げられた。木は同校の元生徒で、入院して卒業式に出席できず、1992年に亡くなった奥沢公義(きみよし)さんのために、30年前に同級生らが植えた苗木だった。久しぶりに全国から学校に集まった同級生ら数人は、現在の在校生に亡き級友との絆と思い出を語り、木に札と同級生全員が描かれた卒業アルバムのイラストを掛けた。
奥沢公義さんは小学生の頃、脳に病気があることが判明。88年から3年間在籍した大谷場中では、病気の影響で目が見えにくいなどの支障はあったものの、仲間の支えを受けて、生徒会長や合唱祭の指揮者などを務め、積極的に学校生活を送っていた。しかし、3年生の体育祭の練習のときに倒れて入院、その後は卒業式を含めて登校できず、17歳の誕生日から約半月後の92年10月に亡くなった。
同級生たちが学校に残した木は、卒業式に出られなかった公義さんが退院して戻ってくると信じ、「一緒に卒業した」「友情は変わらない」というメッセージを伝えるために植えられた。しかし、公義さんが木を見ることはなかった。
同校の大野佳男教諭(58)は、そんなエピソードを公義さんの担任教諭で元同僚の金子玲子さんから耳にし、同級生だった諸岡太一郎さん(45)に話を聞いたり、学年だよりなどで生徒や教職員に紹介していた。
公義さんがいない卒業式から30年後の今年、設置していた立て札が台風などでなくなっていたことを気にしていた諸岡さんら同級生たちは新たな木札を掛けることにし、在校生にも話をすることになった。
「きみりんとは小学生の時から一緒。言い間違えをすると自分で顔をたたく律儀なやつだった」。諸岡さんは公義さんを愛称で呼んで振り返った。諸岡さんは今も同級生との集まりを毎年開いているが、幼なじみとはもう会えない。
生徒会長や合唱祭の指揮者を務めた公義さんを「正義感あふれる熱い男」と評した吉原慎(まこと)さん(45)。公義さんが体育祭の練習で倒れたときには大声で助けを呼んだ。「きみりんが振り返りながら倒れてきたことを、昨日のように覚えている」と遠い目をした。
車座になって公義さんとの思い出を振り返る輪には、現在の同校の生徒2人も。生徒会長の若杉拓実さん(14)は「友達との何げない毎日の大切さを感じた。今の友達と長い関係を築きたい」、副会長の市川蒼奈さん(14)は「卒業生の母から聞いていたが、きみりんさんのエピソードをおばあちゃんになっても忘れず、自分の友達に伝えたい」と話した。
公義さんの父の奥沢久士さん(72)は「自分の子じゃないくらい優しい良い子だったが、(亡くなる)数年前から寿命は分かっていた」と振り返り、「(同級生たちが)あの子のことを思ってくれて、できなかったことをやろうと思ってくれることがうれしい」と感謝した。