【独占】草彅剛さんと共演何度も 「青天を衝け」徳信院役・美村里江さんの思い 出身深谷でロケ向き役者に
大河ドラマ「青天を衝(つ)け」で、徳川慶喜の養祖母・徳信院役を演じる美村里江さん。埼玉県深谷市出身の美村さんにとって今作の大河ドラマは、「渋沢栄一翁の偉大さを、全国に伝える良いきっかけになる。私自身も作品に携わることができて感慨深い」と喜びを語る。自身の役どころや地元深谷の魅力について聞いた。(森本勝利)
―大河ドラマ「青天を衝け」に出演が決まった時の気持ちをお聞かせください。
渋沢栄一が新一万円札の顔になるというニュースを見て、何かしらの形で作品に描かれるとは思っていました。それが「大河ドラマ」と聞いた時は、深谷市出身としてこの上なく、うれしい気持ちでいっぱいでした。出演者という形で作品に携わることができることは、大変光栄で身の引き締まる思いです。
若い時は故郷の良さにそこまで気づけていませんでしたが、30歳を過ぎてから深谷への愛着がさらに増した気がします。以前は「埼玉県深谷市出身」と言ってもあまりピンとこなかったのが、「渋沢栄一の故郷」と伝えると、一気に興味を持ってくれるようになり、改めて渋沢翁の偉大さを感じています。
―演じる徳信院役の見どころは。
徳川慶喜の養祖母として、慶喜を半分息子、半分弟のような感覚で、温かく見守っています。2人の仲の良さは、慶喜の謡(うたい)に合わせて徳信院が鼓を打つシーンが象徴的です。撮影現場で受けた生の感情を大事にしながら、慶喜の横にいて自然な雰囲気で演じることを意識しています。慶喜役の草彅剛さんとは何度か共演させていただいているので、お互いに良い空気感で撮影に臨めているかなと思います。
江戸時代が舞台になる作品で、いつか徳川家の役を演じてみたいと思っていました。大政奉還という最後を迎える徳川家を支える女性たちは、何を考え激動の時代を生き抜いたのか。そんな時代背景に思いを馳せながら、丁寧に描いていきたいです。
―美村さんが考える「渋沢栄一」の魅力とは。
幼少期から渋沢栄一「翁」(おう)と呼び、地元では愛着のある存在でした。学生時代に、事業やその功績などを学ぶ機会はありましたが、社会に出て経済の仕組みに触れる中で、その偉大さを改めて感じます。著書の「論語と算盤」に代表されるように、渋沢翁の考え方は、現代を生きる我々にも共感できる部分が数多くあります。
コロナ禍で盤石だと思っていたものが、脆くも崩れつつある時代。このタイミングで渋沢栄一が主人公の大河ドラマが放送されることは、「天命」ではないかとも思います。未来を切り拓いていく若者にも、毎日踏ん張って仕事をする世代にも響く内容なので、より多くの方々に渋沢翁の精神を伝えたいです。
―故郷・深谷での思い出やエピソードを教えてください。
19歳の夏まで深谷で過ごしていました。新興住宅地でありながら自然も多く、昆虫採集とかして遊んでいました。桑畑もあり、近所の方々が尊敬の念をこめて「お蚕様」と呼んでいたことを、いまでも覚えています。深谷はとにかく夏が暑くて、冬が寒い。そのような環境で育ったからか、ロケ向きの役者に育った気がします(笑)。
「唐沢川の桜堤」が好きで、一面に咲き誇る桜並木に、菜の花や草木のコントラストが色鮮やかで、とても心が落ち着く場所です。コロナが落ち着いたら、また「春の深谷」を体感しに行きたいですね。花の生産も盛んなので、深谷のお花も楽しみたいです。
―最後に読者・埼玉県民にメッセージを。
渋沢栄一は、事業は思い上がっている時こそ失敗するとしばしば説いていました。現代が同じだとは言えないけど、どこか豊かさの上にあぐらをかいていたのかなとも思います。失ったものを憂うのではなく、渋沢翁の精神でまた一から創り上げていく。先の見通しが立たないいまだからこそ、作品から明日への活力や情熱を感じてほしいです。
深谷は自然も多く、東京からの交通の便も悪くなくて、実はとても恵まれた場所。生まれ育った深谷市出身の偉人が主人公の大河ドラマを、役者としても、一視聴者としても、大いに盛り上げていきたいです。ぜひ魅力いっぱいの深谷市にお越しください。
■美村里江(みむら・りえ)
1984年生まれ。埼玉県深谷市出身。ドラマ「ビギナー」で俳優デビュー。主な出演作は、ドラマ「銭ゲバ」、映画「着信アリ2」「落語娘」など。NHKでは、連続テレビ小説「梅ちゃん先生」、大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」「西郷どん」などに出演。また書評、エッセイの執筆活動も行う。
(埼玉新聞4月28日付第2部「渋沢栄一『青淵の世明け』特集」より掲載)
=埼玉新聞WEB版=