埼玉新聞

 

篠山紀信さんの写真発見 皆野・三沢の太幡さんが初公開 風景6点、複写掲示へ

  • 篠山紀信さんが撮影した皆野町三沢の風景写真を紹介する太幡隆幸さん(右)と野沢博美さん=29日、秩父市内

    篠山紀信さんが撮影した皆野町三沢の風景写真を紹介する太幡隆幸さん(右)と野沢博美さん=29日、秩父市内

  • 篠山紀信さんが撮影した皆野町三沢の風景写真を紹介する太幡隆幸さん(右)と野沢博美さん=29日、秩父市内

 今年1月に83歳で亡くなった写真家・篠山紀信さんが撮影した、皆野町の風景写真が、同町三沢で農家を営む太幡隆幸さん(77)宅の土蔵で見つかった。篠山さんが1976年に三沢の高淵寺(こうえんじ)や寺下の太幡家を訪ねた際に撮ったものと思われる。同寺の境内や周囲の沢の流れなどを収めたモノクロ引き伸ばしの風景写真6点を確認。地域内にある町立三沢小学校は1874年に中三沢の同寺を仮校舎に開校した経緯があり、同写真は今後、複写して三沢小に掲示される予定。

 三沢小の学校運営協議会会長の野沢博美さん(80)によると、篠山さんは東京都新宿区の真言宗豊山派円照寺の住職の次男。戦時中、東京空襲が激しくなってきた1944~45年ごろ、篠山さんは、おばに連れられ、三沢・医王寺(いおうじ)の住職が管理する高淵寺の庫裏に移り、被災を免れた。

 疎開中の篠山さんを世話したのが、太幡さんのおば、故・升子さんだった。太幡さんは「寺には風呂もないし、食べるものもなかった。わが家は農家なので、おばはふかした芋や、郷土料理のたらし焼きなどを作って提供していたと聞く。篠山さんは元気に野山を駆け回り、田舎暮らしを楽しんでいたようだ」と説明する。篠山さんは当時4~5歳。升子さんは「紀信坊ちゃんは、目がくりくりしたかわいい子だった」と周囲によく話していたという。

 写真家になった篠山さんは、30代の76年10月5日に母親らとともに高淵寺や太幡家を訪れて寺付近の写真を撮り、後日、「篠山オフィス」と書かれた封筒に写真を入れて升子さんに送った。

 太幡さんは、篠山さんが送った写真が自宅の土蔵で保管されていることは知っていたが、長年開封していなかった。三沢小開校150周年の記念誌を作成することが決まったため、今年初めて野沢さんに見せた。

 「貴重」と判断した野沢さんは、3月に篠山紀信オフィス(東京都港区)に確認。ネガフィルムが同オフィスで見つかったため、篠山さん本人が撮影した写真だと確認が取れた。

 野沢さんは「この写真を三沢小の児童らに見てもらい、地元の昔の風景を知ってもらうとともに、篠山さんが、いかに偉大な写真家だったのかを伝えたい」と話していた。
 

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