<埼玉文学賞を語る>言葉をそぎ、イメージは無限に 俳句部門審査員・山﨑十生さん「魂込めた作品を」
2015年から埼玉文学賞俳句部門の審査員を務めている俳人の山﨑十生さん(73)は、30年以上前に埼玉文学賞に応募し、俳句部門で正賞、詩部門で準賞を受賞している。若い頃に挑戦を続けた文学賞だが、今では作品を選考する立場に。「(どの作品を選ぶかで)自分が試されている。信念に基づいて選んでいる」と話す。
■「審査はまるで格闘技」
山﨑さんは16歳の時に俳誌「紫」に入会。主宰者の関口比良男さんに師事し、俳句の世界に入った。その一方で、俳句にはない魅力にひかれて詩や短歌、小説などの創作にも励んだ。1960年代には、都内で仲間たちと同人誌も発行していた。
埼玉文学賞に応募をするようになったのは、1978年ごろから。当時の筆名は山﨑十死生(じゅうしせい)。第12回(81年)の詩部門で、「紫陽花」という作品で準賞を受賞する。“本業”の俳句ではなかったことに「複雑な心境でしたね」。
その後も俳句部門に応募をするも、正賞や準賞に届かない。山﨑さんの句風は前衛的な現代俳句。「傾向として自分の作品は無理なんだろうな」。そんな思いがよぎりながらも、「最後までやり抜こう」と応募を続けた。
第20回(89年)の俳句部門で、「ある日」という作品がついに正賞に輝く。金子兜太、松本旭、星野紗一の審査員3氏の意見が一致し、「個性的な作品で、将来がたのしめる作家」と高い評価を得た。「おおいに励みになった。『死ぬまでやるんだ』という思いが加速された」と振り返る。
99年に関口さんから「紫」の主宰を引き継ぐ。現在は現代俳句協会の理事、県現代俳句協会の会長などを務める。出版した句集などは十数冊を数える。
「(詩や短歌など)いろいろやってみたが、凝縮力で俳句に勝るものはない」。たどりついた俳句の境地をこう語る。目に見えるものをすべて言い切ってしまうのではなく、あえて言葉にしない部分、「余白」にこそエネルギーがあるという。言葉をそぎ落としていくことで、逆にイメージは無限に広がっていく。それを「五七五の核爆発」と表現する。
埼玉文学賞の審査員は今年で7年目。「応募者も命を削って作品を出している。審査も、それに応えないと。格闘技みたいなものですよ」とほほ笑む。「自分が感動しないと、相手も感動しない。魂を込めて書いた作品を待っています」
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埼玉新聞社では「彩の国 埼玉りそな銀行 第52回埼玉文学賞」の作品を募集中。2人の審査員に文学賞について語ってもらった。
■やまざき・じゅっせい
1947年生まれ、川口市在住。俳誌「紫」主宰。現代俳句協会理事、県現代俳句協会会長、埼玉俳句連盟顧問などを務める。県現代俳句大賞、川口市文化賞などを受賞。主な著作に「上映中」「招霊術入門」「原発忌」など。