埼玉新聞

 

絶句、万感の思いで走るつもりだった…埼玉・川口の聖火リレー中止 聖火台作った鋳物師、肩落とす

  • 2019年10月6日、JR川口駅東口のキュポ・ラ広場

 7月に予定されている県内の聖火リレーは22日、新型コロナウイルスのまん延防止等重点措置が継続しているさいたま市と川口市では、公道での走行が中止となった。一方、実施の見込みとなった2市以外の自治体は、胸をなで下ろした。

 前回1964年東京五輪の聖火台を作った鈴木文吾さんの弟で、自らも制作に参加した川口市の鈴木昭重さん(86)は市内の聖火リレー中止の報に絶句した。「その大役を果たすまでは体を丈夫に」と、ソフトボールも休まずに続けて健康維持に気を付けてきただけに「がっかりだ。でも仕方がないね」と話した。

 64年東京五輪の聖火台の制作を引き受けたのは昭重さんの父で鋳物師の鈴木萬之助さん。唯一の直弟子で三男の文吾さんが手伝って取り組んでいたが、最終工程の鉄を型に注いだ際に一部のボルトが飛んで失敗。失意の萬之助さんは寝込んでしまい、そのまま8日後に死去した。納期まで1カ月の危機だったが、当時36歳だった文吾さんを兄の幸一さんや常雄さん、23歳だった弟の昭重さんらが手伝い、新たに完成させた。

 最初に失敗した聖火台は市内の青木町公園に安置されている。聖火リレーはその前からスタートする予定で、昭重さんは芝川の土手を走ったり、自転車にも乗って体を鍛えてきた。

 「聖火リレーの出発に当たり、青木町公園の聖火台に手を合わせて、萬之助親父や文吾兄と、手伝った長兄と次兄ら4人に向けて、『一緒に走ってくれ』とお願いし、終わってから家でグラスを五つ並べて乾杯するつもりだった。それがなくなったことが、一番残念だ」と、昭重さんは肩を落とした。

 聖火台制作を東京都から引き受けたのは当時の大野元美市長(大野元裕知事の祖父)で、工場を貸したのが川口内燃機の岡村実平社長(前市長の故岡村幸四郎氏の祖父)。聖火台のデザインを担当したのは県鋳物試験所技師の山下誠一さん。出直し制作にはほかの鋳物師たちも手伝い、声援を送った。

 「川口総掛かりで出来上がった聖火台。今度の聖火リレーでは万感の思いを込めて走るつもりだった…」と昭重さんは残念がった。

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