<高校野球>初戦迎える2日前に発熱…当日の朝、何度も何度も測るも熱は下がらず 仲間に送った「任せた」のメッセージ テレビで仲間の戦い見守った背番号1 「多くの人に支えられ感謝」大宮北・辻村投手
「その場にいてもいなくても、彼の背番号1がベンチになくてはいけない」。大宮北の佐々木秀一監督(49)は語った。15日に県営大宮球場で行われた全国高校野球選手権埼玉大会2回戦、大宮北―浦和実。ベンチ入りは登録選手より1人少ない19人で、ベンチには背番号1のユニホーム。球場にいないエースで3年の辻村彰太投手(17)のため、ナインは最後まで戦い抜いた。
3年生集大成の夏。待ちに待った開幕が告げられ、いざ初戦を迎える2日前、先発予定の辻村投手が突如、高熱で練習に来られなくなった。試合当日の朝、何度も何度も体温計で測り直したが、熱は下がらず球場にエースの姿はなかった。「おまえの分まで頑張るぞ」と部員らがメッセージを送ると、辻村投手からは「任せた」という一言だけが返ってきた。寡黙で言葉より行動で示す選手だった。
1年の夏からベンチ入りし、今まで全ての公式戦に出場。2年秋からは守備の大黒柱として背番号1を担った。昨年の秋季県大会1回戦の狭山ケ丘戦では先発完投。3番打者として1―2の三回に犠飛で同点とし逆転勝利につなげ、同校31年ぶりの秋の県大会初戦突破に貢献した。
春季県大会では右肘の故障で外野手として出場し4番を任された。投手として夏のマウンドに上がるため、一冬で体重を約8キロ増加。けがを治し、万全な状態でチームを勝利に導くはずだったが、かなわなかった。3年の倉田快主将(17)は「辻村が投打の要で、いないからこそ勝ち続けて出られるようにしたかった。最後の1球まで諦めたくなかった」と言葉を詰まらせた。
1―7の三回に初球を強振し、公式戦初となる左越えソロ本塁打を放った2年の橋本海里捕手(16)は「うれしかったのと同時に、辻村さんにもう一回試合に出てもらえるかもと思った」。先輩のために力を振り絞ったが、チームはコールド負け。試合後、誰よりも大粒の涙を流した。
辻村投手の父秀征さん(53)は「息子のために頑張ってもらえて本当にありがたい。きょうは息子に代わり応援しに来た」と球場に駆け付けた。テレビで試合を見守った背番号1は「あいつらなら絶対勝てると、どんなに点差が離れても信じ抜いた。みんなが一生懸命プレーしている姿を見て、何度も自分も出たいと思った」。チームは涙の敗退となったが「多くの人に支えられて、本当に感謝しかない」と、普段は口数の少ないエースは、仲間への感謝の思いにあふれた。