父死去、58歳で倒れ…野球を教わった高3息子「試合来る?」の会話が最後 落ち込む日々…仲間に「絶対に父を甲子園へ連れていけ」と言われ、天国へ活躍を見せようと決意 父の誕生日、大暴れで4強進出「どこかで見てくれている」
リードオフマンとしてチームを引っ張り、4安打で4強進出へ導いた。24日の全国高校野球選手権埼玉大会準々決勝で、山村学園は東農大三に6―4で勝利。1番・右翼でフル出場した山村学園3年の田中大貴選手(17)は「亡き父の誕生日に勝利を届けられて良かった」と目頭を熱くした。
昨年1月、父宣行さんがくも膜下出血で突然倒れ亡くなった。58歳という若さ。亡くなる当日、大貴選手の「明日の練習試合来るの?」という問いかけに対し「天気が悪そうだからいいや」と言葉を交わしたのが最後になった。
小学1年の頃、父とのキャッチボールをきっかけに野球にのめり込み、二人三脚で夢の舞台を目指してきた。中学生までは学校から帰ると日課のように1時間以上、200球以上のトス打撃に付き合ってくれた。「一歩おいて良いところ、悪いところを的確に教えていたのが印象的」と母の法子さん。
大貴選手に、父の教えはしっかり胸に刻まれていた。春には4番に抜てきされチームの大黒柱に成長を遂げた。今夏は5回戦まで調子が上向かない中、「状態が悪い時は体が前に突っ込んだり開いてるぞ」とアドバイスしてくれた父の言葉がよぎった第1打席。いきなり二塁打で出塁し、「お父さん、1本出たよ」と心の中で叫んだ。「完全に初回の1本で気持ちが軽くなった」とその後も単打3本に四球で、全5打席出塁と暴れまくった。
帽子のつばの裏やグラブの刺しゅうには「恩返し」と記してある。父を亡くして1カ月近く、気持ちの落ち込みが続いていた。そんなとき、心に響いた声がある。「絶対お父さんを甲子園に連れていけ。おまえには恩返しという言葉が似合う」と今岡達哉前主将の声が胸に残る。「たくさんの方に支えられて今の自分がいる」という感謝を忘れないようにするための証しだ。
父が生きていれば今日で還暦を迎えた。高校野球を楽しみにしていた父へ活躍する姿を見せられない悔しさもあるが、「どこかで絶対見てくれている」と信じている。悲しみを乗り越え、努力を惜しまない彼に、天国の父は喜びの雨を降らせた。「欲をいえばホームランボールを届けたかった」とやり残したこともある。聖地まであと二つ。天国で見守る父のために、さらなる成長を遂げた姿を見せる。