埼玉新聞

 

【心へのフォーカス ハービー・山口#10完】手で別れを告げた坂本龍一 最高のセッション追い求め

  •  坂本龍一の手=2020年12月20日、東京都世田谷区の人見記念講堂

     坂本龍一の手=2020年12月20日、東京都世田谷区の人見記念講堂

  •  坂本龍一の手=2020年12月20日、東京都世田谷区の人見記念講堂

 被写体の「明日の幸せ」をそっと願って撮り続け、半世紀を超えた写真家のハービー・山口さんが、著名人を活写したカットを紹介。撮影秘話や心の交流を振り返る連載の最終回。

   ×   ×  

 「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーで「教授」の愛称で親しまれた音楽家の坂本龍一。常に相手と最高のセッションを追い求め、自身の振る舞いを考える人だった。

 2020年12月、東京都世田谷区の人見記念講堂で「大貫妙子シンフォニックコンサート2020」が開かれ、坂本がゲスト出演した。私が坂本を撮影するのは三十数年ぶりだった。

 本番では大貫と和やかにトークし、楽曲「Tango」「色彩都市」の2曲でピアノを奏でた。大貫の情緒豊かな歌声に、オーケストラの迫力ある演奏と坂本の繊細なピアノの音色が加わり、深みがあった。

 公演が終了し、坂本のタクシーが到着。私にも笑顔で「じゃあね」と手を振ってくれた。坂本はドアを開けて1歩先に進もうとする時、どういう訳か壁に左手を2、3秒ほど置いていた。「ハービー、撮るんだ!」というバイブレーションを私は感じ、慌ててピントを合わせてその手を収めた。

 これが坂本との最後となってしまった。直腸がんの診断や治療を公表する前のこと。闘病の後、23年に天国へ旅立った。

 非戦や環境問題、脱原発の運動家でもあり、信頼するジャーナリストと未来を語り合った。私の前ではベストな被写体であろうとした。「顔はもう見せられないから、手でお別れしよう」。この瞬間を撮影させてくれた坂本の思いが今分かる。

 お互いの心を読み合ったセッションがこの一枚だ。写真を通じ、私は教授の生き方を語り継いでいく。

【略歴】ハービー・山口 1950年東京都生まれ。写真家を目指し、73年から約10年間ロンドンで過ごした。帰国後は著名アーティストや市井の人々にレンズを向け、優しいトーンのモノクロ作品は多くのファンを持つ。ラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍。

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