<東京五輪>自転車・梶原悠未が日本初快挙、地元の和光が沸く「銀で十分」 恩師が涙「努力うそつかない」
「有言実行したのはすごい」「小さい頃から頑張り屋だった結果です」―。梶原悠未選手が銀メダルを獲得した。日本人女性が五輪の自転車競技でメダルを獲得したのは初めて。テレビ観戦するため、地元・和光市民らの支援団体「梶原悠未選手応援するワ!!」など支援者らが集まった市内の施設は、梶原選手の快挙に沸いた。
午前10時。市向山地域センターで開かれた観戦会に集まったのは同団体の会員ら約20人。会員らが制作した梶原選手の似顔絵を描いたうちわや応援用スティックバルーンを手に携え、約3時間にわたり画面を見つめ続けた。
競技の「オムニアム」は、最終ゴールの順位を競う「スクラッチ」と、先頭でトラックを通過した回数を競う「テンポレース」、2周ごとに最後尾が除外される「エリミネーション」、10周ごとの通過順位で点数加算される「ポイントレース」の4種目の合計ポイントで順位が決まる。
最初のスクラッチで2位に入った梶原選手は次のテンポレースで着実に加点。三つ目のエリミネーションは2位になり、総合で2位に。午後0時半から始まったポイントレースで途中落車するアクシデントがあったものの、競技を続行し総合2位を維持した。
市内の別の小学校の同級生で、梶原選手が小中学生時代に所属していた都内のスイミングスクールのクラブ員だった広瀬汀さん(24)は「2年前に会った際、五輪に出場してメダルを取ると話していたので、有言実行はすごいことで本当にうれしい」と絶賛した。
梶原選手の母校の市立第五小学校で校長を務め、担任が病欠の時には当時5年生だった梶原選手に社会科などを教えた大久保昭男市教育長(72)は「水泳大会があるといつも結果を報告してくれ、頑張り屋で根性もあった。和光からこんな子が出てくれたのは素晴らしい」と目を細めた。
支援団体の新田稔会長(75)は「本人は金と言っていたが、銀で十分。最後の競技で落車したが、完走してくれてよかった。メダル獲得を宣言していたので、近所の人たちも喜んでいる。地元に戻ったら、『おめでとう』と拍手をしてあげたい」と感激していた。
筑波大付属坂戸高校で自転車競技部の監督として梶原選手を指導した安達昌宏さん(58)=現・福島県立修明高教諭=は「本人は金メダルを狙っていたかもしれないが、私にとっては金に近い銀。努力が実った。よかった」と教え子の頑張りをたたえた。
観戦チケットを手に入れることができず、静岡県内の競技会場近くに車を止め、車内でテレビ観戦。メダル獲得が決まり、涙が出た。
「高校で自転車を始めてからオリンピックを目指していた。自主練習の鬼というぐらい自分を追い込める選手だった」と当時を振り返る。「努力はうそをつかなかったね。おめでとう、よく頑張った」と梶原選手にメッセージを送った。