大反響!実話を基に描いた少女漫画復刊 ソ連侵攻で生き地獄、満州引き揚げを題材…子どもに読ませたい
今年は満州事変から90年。満州国には多くの日本人が移住し、敗戦で引き揚げる途中、その多数が命を落とした。越谷市の漫画家巴里夫(ともえさとお)=本名・磯島重二=さん(1932~2016年)は約50年前、引き揚げの惨禍を題材にした「赤いリュックサック」などの少女漫画を描き、「自分の子どもにも読ませたい」などという声から、近年復刊された。こうの史代さんの「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」など、日常の生活の先につながる戦争を先駆けて描いた巴さん。作品は半世紀たっても色あせることなく、今も読者の胸に響く。
大分県出身の巴さんは大学生だった1950年代に貸本漫画家でデビュー。少女漫画に活躍の場を移し、代表作「5年ひばり組」など学園系作品を描き大人気に。一方、戦争を伝える作品にも力を注いだ。
72(昭和47)年、雑誌「りぼん」8月号掲載の「赤いリュックサック」は、ソ連軍が侵攻し、満州から引き揚げる苦難を、取材した実話を基に描いた。女性には手りゅう弾や青酸カリが配られ、絶望した人々の集団自決や親子の心中が相次いだ逃避行。民間人の犠牲は広島の原爆や沖縄戦より多い約25万人とされる。
漫画では仲間同士で水を奪い合ったり、わずかな食料と引き換えに子どもを売る親の姿などの生き地獄のさなかでも他人への思いやりを失わない8歳の陽子と母親の姿を通し、戦争がいかに人間の尊厳を踏みにじるかをあらわにしている。
戦争漫画といえばパイロットが活躍する英雄物語などが多かった当時に、巴さんは「市井の人々の生活と地続きの戦争」という視点で描いた。
長らく絶版だった作品を復刊した「巴里夫のマンガ伝承保存会」代表を務める弟の烈(いさお)さん(80)は「重い内容なので少女誌では難しいんじゃないか、と危ぶむ声もあったようです。しかし作品が載ると編集部の電話が鳴り続け、何百通もの手紙が届くなど、大反響が起きた」と振り返る。
巴さん自身も大分の海軍航空隊に学徒動員され、毎日のように爆撃で穴が開いた基地の滑走路を、川から拾った石で埋める日々を送った。
「小柄で細身だったからつらかったと思うけれど、そういうことは口にしない人でした」と妻の美子さん(83)は話すが、戦争への思いは表現にこだわった作品にあふれた。後書きで、巴さんは「戦争=悲劇=センチメンタル物語という図式には、ぜったい乗れない、ということを編集者に了承してもらって制作に臨みました」と記し、惨禍に巻き込まれた人々の心に届く鎮魂の内容となるよう苦心したと明かしている。
巴さんは後進の指導にも尽力した。19歳の時から5年間、巴さんのアシスタントを務めた山本おさむさん(67)は「大変な勉強家で、部屋には硬軟織り交ぜさまざまな本が並び、漫画家になるにはこれほど勉強しなきゃならないのかと圧倒された」と懐かしむ。山本さんの漫画「どんぐりの家」は大宮市(現さいたま市)を舞台に聴覚などの障害を持つ子らを描いている。
2018年にパリで催された日本の漫画を紹介する展覧会に原画が展示されるなど、海外でも巴さんの漫画は近年注目を集めている。「巴里夫(パリオ)」とも読めるペンネームは、パリジャンの当て字だった。
「思いつきで済ませることを嫌っていましたね」と父について語るコピーライターの長男・拓矢さん(53)は「ちゃんと考えてるのか?」という父の言葉で、思索することの大切さに気付かされたと振り返る。
戦争を体験した世代が少なくなった現代、こうのさんの「夕凪の街 桜の国」のように、戦禍の記憶を語り継ぐための、新たな呼び掛け方が求められている。拓矢さんは「父の漫画が何げない日常の生活を細やかに積み重ねながら戦争を描く、作品の流れにつながっていたらうれしいです」と
話している。
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復刻版の問い合わせは、「巴里夫のマンガ伝承保存会」(mail@tomoesatoo83.jp)へ。