埼玉新聞

 

父の野球追いかけ2年半 花咲徳栄高校、岩井監督の長男・福さん 親子で甲子園 父を「先生」と呼び師弟として過ごす 監督は「本当はお父さんとして野球を教えたかった」と本音 監督と選手としての歩み終り、父と子に戻る 将来の夢はスポーツアナリスト、新たな道へ

  • 花咲徳栄―新潟産大付 三塁コーチャーとして甲子園の舞台に立った岩井福外野手=9日、甲子園球場

    花咲徳栄―新潟産大付 三塁コーチャーとして甲子園の舞台に立った岩井福さん=9日、甲子園球場

  • 花咲徳栄―新潟産大付 三塁コーチャーとして甲子園の舞台に立った岩井福外野手=9日、甲子園球場

 9日に行われた第106回全国高校野球選手権大会1回戦の花咲徳栄―新潟産大付戦で、花咲徳栄は1―2で惜敗。背番号17を付け三塁コーチャーとして出場した岩井福さんは「選手としての役目はきょうで終わり。これからはチームのサポートに回りたい」と球児として最後の夏を終えた。

 福と書いて「ゆたか」と読む。岩井隆監督の長男で、5年ぶりの甲子園は親子での出場となった。父親が監督。高校選びは決して簡単ではなかった。中学時代は試合で活躍する選手ではなく「埼玉でトップクラスの学校に自分が行って何になるんだ」。悩みに悩んだが、周りの声に後押しされ入学を決意した。

 入学後は父を「岩井先生」と呼び、親子ではなく師弟として過ごした。岩井監督は「どうしてもAチームの子たちに教える機会が多くなる。本当はお父さんとして野球を教えたかった」と本音を吐露したこともあった。

 福さんは緻密に計算された「徳栄野球」を誰よりも理解しようとこの2年半、父の野球を追いかけた。もともと統計学や分析に興味があり、物心ついた時から野球の専門書を読むことに熱中した。卒業後は大学進学を希望し、選手ではなく学生コーチなどとして野球に携わり、将来はスポーツアナリストになりたいという夢を持つ。

 「小さい頃はたくさん野球の話をしたけれど、チームに来てからほとんどできなかった。一区切りついたので技術的なことを伝授できたらいい」と岩井監督。福さんは「岩井先生の野球技術に、最先端の情報技術を組み合わせればもっといろいろな指導方法が見つかる」と父を支えられる存在を目指す。監督と選手としての歩みが終り、父と子に戻る。新たな道が始まろうとしている。

ツイート シェア シェア