<高校野球・森士物語6>大学院でショック、非常識に気付く 大切だった「根拠」 闘志再燃させた花咲徳栄
2015年春の選抜大会でもベスト4と結果を出しつつ、後継者育成に力を入れ始めた森に新たな挑戦の機会が訪れる。浦和学院高の理事長から「今後のために学びなさい」と促され、16年4月から1年間、スポーツマネジメントを勉強するため、早大大学院に通った。
当初、大学院へ行くことには懐疑的な思いもあったが、入学直後に参加した1泊2日の合宿で自らの未熟さを思い知らされる。自己紹介で森は自分の職業などを話し、その内容に手応えを感じていた。だが、森より1歳上の教授からは「話が全く面白くない」と衝撃的な一言。その後も、「井の中の蛙(かわず)」「裸の王様」「その言い方では生徒に言葉が刺さらない」と耳に痛い言葉が並んだ。
森は「ショックだったけれど、ありがたかった」と語る。高校野球界では、実績を挙げた監督として一目置かれる存在。選抜大会優勝で名声も得た。周囲には苦言を呈する人はいなかった。森は「自分にはまだまだ“学”がないんだ」と気が付く。
■価値観に変化
「情けないけれど悔しい」と森は勉学に励んだ。それからは、午後5時までチームの練習を見てから大学に通い、同6時15分から3時間受講する日々を送った。講義中、授業展開の速さについていけず、監督室に戻ってボイスレコーダーを聞き直し、文字起こしする毎日。そんな時に気付いた。「きっと生徒(選手)も、こんな気持ちなんだ」
テレビ関係者ら、他職種の人との議論も価値観を変えた。意見を交わす中で主張が通らず、森は「野球界の常識は世の中の非常識」と感じた。「監督が右と言ったら右に従う。なぜかと言われたら、昔からそうだったから。でも、これには根拠がない」と、視野を広く持つ必要性を知った。
■根拠と言葉
修士論文の作成にも奔走した。「高校球児における全国制覇を目指した生活とその後のライフスキルとの関係」をテーマに研究し、言葉の扱い方や膨大なデータ量を前に苦闘。「これほど勉強したのは初めて」と文字と数字に向き合った。
修士課程を修了した森に、感性重視で指導するのではなく言葉で伝える意識が根付いた。相手が聞きやすく、分かりやすい言葉を選び、話す内容を頭の中で構成するようになった。「背中でものを言うのではなく、今の子には根拠や裏付けがないと伝わらない」と、26年目を迎えた17年から指導方法を一新した。
■闘志再び
「(18年夏の)100回大会を区切りに勇退かな」。森は身を引く時期を具体的に考えるようになっていた。そんな時、ショックを受ける出来事が起きた。17年夏、埼玉大会決勝の花咲徳栄戦だ。当時、チームは埼玉大会決勝で8連勝中だった。「負けるはずがない」と臨んだが、結果は2―5で敗戦。「甲子園を目の前に負けるのが一番悔しい」と唇をかんだ。
衝撃は終わりではなかった。埼玉代表として甲子園に出場した花咲徳栄が、全国高校選手権大会で県勢初の優勝。監督室のテレビで決勝を見た森は「夏はうちが取ると思っていた。(花咲)徳栄に時代を奪われ、王座から引きずり降ろされた」と痛感した。何日も続いた喪失感。そして、「王座を取り戻すしかない」。森に再び闘志が宿る(敬称略)。