埼玉新聞

 

<高校野球・森士物語8>甲子園は最高の舞台、夢の続きは後任に スポーツ通じた社会貢献へ、新たな挑戦

  • 監督の退任式で選手、野球部OBと記念撮影に納まる森士(前列中央)=8月29日、浦和学院高グラウンド

 選手たちが導いてくれた甲子園。今夏、浦和学院は第103回全国高校野球選手権大会に出場し、森は監督として春夏通算22度目となる聖地の土を踏んだ。2018年夏以来、春夏通じて3年ぶりに帰ってきたグラウンド。ベンチに立った瞬間、森は「やっぱり甲子園は最高の舞台だな」と高校野球界最高峰の大会にいる喜びと感謝が込み上げてきた。

■初戦で敗退

 だが、真剣勝負の世界だ。退任を表明して迎えた大会でも、厳しい戦いは待っている。森は「最高のパフォーマンスで一戦必勝を」と、ナインを鼓舞して送り出した。8月21日、日大山形と手合わせした初戦の2回戦は、7度の降雨順延による試合勘のずれも響き、3―4で惜敗。森は「ショックだった」と言う。監督最後の大会は、あっけなく幕を閉じた。

 一夜明けた22日、選手と恒例の早朝散歩の後、ミーティングを実施。1人ずつ甲子園の感想などを聞いた。「悔しいけれど楽しかった」「独特の雰囲気だった」と、さまざまな意見を耳にし、森は「負けて悔しいが、やり切った。夢の続きは後任に託そう」との思いを抱く。そして、選手たちを「お疲れさま」とねぎらい、笑顔で帰路に就いた。

■バトンタッチ

 「責任やプレッシャーから解き放たれて、安堵(あんど)しているよ」。高校野球の名門監督というよろいを脱いだ森の表情には、すがすがしさがあった。監督を退いて3日後の24日。長男大(だい)が後任の監督に就任し、チームは新体制で始動した。それをグラウンドではなく、遠くから見守る森。「託すに当たっては、期待と不安が入り交じっている」と正直な胸の内を明かす。

 27歳で始まった波乱万丈の監督人生。森は「後悔はない」ときっぱり。「自分の性格を考えると、監督という仕事は天職だった」と満足げな表情だ。ただ、「できればもう一回(甲子園に)行きたいな」と聖地の雰囲気は忘れられないようだ。

 森は常々、監督業は勝たせることが仕事だと言う。なぜ、30年間で公式戦通算551勝を挙げ、全国制覇を成し遂げることができたのか。「人間性を磨くことが、勝つことに一番の近道だった」と振り返る。「勝ち負けの世界に身を置く中で、目標に向うマネジメント力が成長を促す」。経験から導いた持論だ。

 指導した選手は、ちょうど千人。「ほとんどの生徒の顔と試合は覚えているね」。歴史の一こま一こまが、森の心と体に深く刻まれている。

■第2の人生

 森は、自分に投資する時間を大切にしている。日課として、1日平均10キロのランニングと1時間の読書を欠かさない。高校野球の指導者を退いたとはいえ、まだまだ働き盛りの57歳。新たな挑戦に動き出している。

 構想を進めているのは、小中学生を対象にした地域スポーツ活動への取り組みだ。「野球界で人間として成長させてもらった恩返しをするため、スポーツを通じて社会貢献していきたい」と、副校長の立場で引き続き学校に籍を置きながら、NPO法人の具体的な活動準備に追われている。

 「私はいつも、『高校野球は人生を凝縮した2時間ドラマ』に例えるが、これからの人生は2時間ドラマで経験したことを生かして次の世代にゆっくり伝え、過ごしていきたい」。森士物語の第2章が今、幕を開けた。

(敬称略)

=おわり=

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