埼玉新聞

 

島原の乱直後の書状発見 天草四郎の最期伝える

  •  島原の乱で原城が落城した直後に、細川忠利が木下延俊に宛てた書状(個人蔵、天草キリシタン館提供)

     島原の乱で原城が落城した直後に、細川忠利が木下延俊に宛てた書状(個人蔵、天草キリシタン館提供)

  •  島原の乱で原城が落城した直後に、細川忠利が木下延俊に宛てた書状(個人蔵、天草キリシタン館提供)

 熊本藩主の細川忠利が1638年、島原の乱(島原天草一揆)で原城(長崎県南島原市)が落城した直後に豊後日出藩の木下延俊に宛てた書状が見つかったことが3日、天草キリシタン館(熊本県天草市)への取材でわかった。落城の様子や、乱を率いた天草四郎の最期を伝える内容。同館によると、原本が見つかったのは初めて。

 見つかったのは、忠利が親しい大名や幕臣ら15人に送った書状のうちの1通。落城2日後の同年3月1日付で、原城に乗り込んだ細川勢が「四郎の家を火矢で焼き、四郎が出てきたところを神野佐左衛門という者が首を取った」との内容が記されている。

 同館の企画展で来年1月13日まで展示される。

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